Yoga=・・・

こんにちは。

春らしくいい季節になりましたね。
皆様お元気ですか???

今日は梅森ギャーナコース第四回目でした。
これからしばらくはサーンキャ哲学についての講義が続きます。
皆さん楽しんで下さいね。

Yogaの背景にある哲学が理解できると、レッスンで先生が話す言葉の意味(真意)が解ります。

例えば、
健康で幸せである現状に感謝しましょうね。。。
なんてセリフ。
これは、
「ヨーギー(Yoga実践者)は多くを望まず、現状に感謝できる大きな心を持った人」
です。
もしくは、
「無理やりにでも感謝しましょう!それが練習です。」
なんて側面は、まあ…あります。(^^;

しかし、これは、何故そうなるのか???
と言うところが見えないので精神論的になります。

何故そうなるのかが見えれば、そうしようと本人は思わなくてもそうならざるを得ない事が分かってきます。
では、見える化してみます。(^^)

Yoga=自分を知る練習(ここは大丈夫ですね?)
②自分を知る練習=自分を意識する練習(意識的に客観的に見なければ自分は知れません。)
自分を意識する練習=身体を動かしたり呼吸したり、と普段の「当たり前」を「当たり前」にしておかない練習
※ここで別の公式です→当たり前」の反対=「有難い」(これを加味して次に進みます。)
④身体を動かしたり呼吸したり、と普段の「当たり前」を「当たり前」にしておかない練習身体を動かしたり呼吸したり、と普段の「当たり前」を「有難く」感じる練習
※ここでもう一つの公式→有難い=ありがとう(感謝)
ゆえに・・・

∴Yogaの練習=感謝をする練習

という図式が成り立つのです。
本人にその気が無くても、きちんとした方法で練習をすれば、感謝や思いやりの気持ちが生まれるのがYogaなのです。

これ自体はYoga哲学とは少し離れますが、こんな風に自分の言動にしっかりした理由を感じていれば、心の揺れ動き(チッタヴリッティ)は少なくなりそうではありませんか???

他にも、以前ブログでも紹介した、(「ヨガに哲学が必要な理由」参照)
「無理をしないでくださいね・・・」
というセリフも見える化すると、
前提として・・・Yoga=真理の追究
①無理をしない=理にかなっていない事をしない
②理(ことわり)=真理
※①を実現するためには②を知らなければならないため、前提にあるようにYoga(真理の追究)をします。
つまり、

∴無理をしない練習=Yoga

という図式になり、
無理をしない様に促す事は、大変重要な事となるのです。

これも哲学の本題とは少し外れますが、でも哲学的に「真理を追究する事」もYogaとなります。

自己の探求=真理の追究

この辺りがしっくりきた頃には、いろいろな迷いが消え去っている事でしょう。

そんなYoga哲学講座「ギャーナヨガコース」を春日井で開催予定です。
6月より年内に10回行う予定です。
詳しくは「こちら」をご覧下さい。

又、哲学もアーサナなどの実践も!と言う方は「サーダナコース」を!
こちらも6月より、名古屋市名東区の「スタジオPHYLEX」さんで開催します。
こちらは、6回コースです。
詳しくは「こちら」をご覧ください。

※名東サーダナコースは段々と定員が近づいていますので、迷い中の方はお早目の決断を!

エントリーお待ちしております。

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# by uz-ni-chan | 2017-04-25 20:20 | DG 勉強会

アーサナは何のため???

みなさんこんにちは。
やっと春がやってきましたね。

今日は桜が満開でした。
花見に出かけた方も多いのでは???

さて、今年もあっという間に3ヶ月を経過しました。

年明けから始まったDG勉強会も段々と中盤に差し掛かります。
これからが本格的な哲学です。
楽しみにしていてくださいね。

哲学とは・・・
西洋、東洋問わずいろいろな考え方がありますが、インドのそれは、「真実の自分」を知る事に尽きます。
なので、DGではアーサナもその為におこないます。

自分を知る???

非常に簡単な例では。
自分が普段どんな姿勢で歩いているか?
どんな表情で話しているか?

もし知らないでいたら???

相当な損をしそうですね。

自分では足を挙げたつもりが挙がっていなかったら???
躓いて転びます・・・(^^;

自分は相手に好意を持っているのに、自分の表情が不愛想な事に気付いていなかったら???
思いは伝わらないでしょう。

自分ではあまり食べてないつもりなのに、つい食べ過ぎてしまっていたら???
太ります。
病気を誘発します。

これは、ほんの表面的な事ですが、自分を知らないと損をする例です。

では、それらはどうすれば防げるのか???

自分を観察して、自分を知ればいいのです。
つまり、今の自分に気付くことです。
気付かない事には、癖は修正は出来ません。

自分の限界を知る事も大切です。

自身の限界を知らずに無理をしたり、背伸びをしたり、過小評価に苦しんだりして、
肉体的にも、精神的にも病んでしまう人が多いものです。

これらの自己観察は、慣れればどんな時でも可能なのですが、何か他の目的を持った行動中(仕事など)に行うのは少し高度です。
また、何もせずにジッとしながらする(瞑想など)のもかなり高度です。
それらに比べ、目に見える身体の観察は簡単です。
先ずは自分に集中できる環境をつくり、シンプルな繰り返しの動きの中で行うと上手くいきます。
つまりアーサナです。

Yogaでは気づきを大切にします。

先ずは当たり前にいつも見ていると思っている自分の身体からじっくり観察しましょう。
しかし、この観察の仕方はコツがあります。
良く知っていると思っている自分も、コツが分かると実は殆ど知らない事に気づくでしょう。

ここで学んで欲しいのは、
「気付き方」
です。

その気付き方、はその後本格的な自己観察をするにあたり、
又は、ヨガ哲学などを学ぶにあたり非常に重要なテクニックとなるのです。

哲学(自己探求)を学ぶにも、事前準備が必要なのです。

Yoga哲学を勉強する「ギャーナコース」では、前半の三回が事前準備となります。
その内容は哲学と言うより、その取り組み方と言ったほうがいいのかもしれません。

何を(ダルマ)どの様に(カルマ)どんな態度(バクティ)で取り組めば良いのか???
です。

それに加え、アーサナにより実践力、忍耐力、集中力を養っておく事は非常に重要です。

いくら頭で知っても、実践を伴わなければ意味がない。
ただただ実践しても、意味が解ってなければ危険である。

この二つのバランスが重要だからです。

Yogaをただの健康体操やアクロバットのパフォーマンスとしてしまうのは非常に勿体ない。
この世の中を幸せに生きる為の方法、そして世界を平和に変える可能性に満ちた哲学的な体系である事を知ってほしいとDGは願っています。
それを理解するには、身も心も準備が必要です。

Yogaが世の中に広がる事は嬉しいですが、Yogaが何であるかも同時に伝わってほしいと願っています。
DGはその為に勉強会を開催しております。

Yogaの本質を知りたい方。
Yogaの本質を伝えたいと思う方。
是非一緒に学びましょう。

六月より、二つのコースが始まる予定です。

内容の深さに比べたら、超お値打ちだと自負しております。
人生が楽しくなった方も沢山いらっしゃいます。

エントリーお待ちしております。(^^)

※写真はSPレッスンでの一コマです。
サーダナコースでは、積極的に写真の様なアーサナもおこないます。
ギャーナコースは簡単なアーサナ程度ですのでご安心を・・・
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# by uz-ni-chan | 2017-04-09 21:56 | DG 勉強会

心について。。。

心(こころ)は非常に多義的・抽象的な概念であり文脈に応じて多様な意味をもつ言葉であり、人間(や生き物)の精神的な作用や、それのもとになるものなどを指し、感情、意志、知識、思いやり、情などを含みつつ指している。
Wikipediaより。

日本人は「心」というものを非常に大切にします。(日本人以外もそうですが・・・)
しかし、上記のWikipediaからの引用にあるように「心」についての定義が曖昧なため、
「心」について語るとき、かなりの幅が出来てしまい、人それぞれの解釈で共通の理解をした、となりがちです。

その例が、ヨガの文献の訳にもよく表れています。
「ヨガとは心の働きを止滅する事である。」ヨーガスートラ1-2
(あえてよくある日本語訳を記してみました。)

ここで、「心」と訳されているのは、原文では「チッタ」です。
ヨーガ哲学の背景となるサーンキャ哲学の「チッタ」は、
ブッディ(知性)・アハンカーラ(自分意識)・マナス(感情)の三つの総称です。
※ヴェーダンタで言うところの「チッタㇺ」と混乱しないでくださいね。

しかし、この三つの中の一つである、マナスを「心」と訳されていることがよくあるのです。
チッタが「心」なのに、その中の一部分であるマナスも「心」。
おかしいですね。
このあたりから、日本人は
感情=心
と捉えている可能性が見出せます。

しかし、
「心を込める」
など、もっと深い意味を含んだ使い方をするのも日本人です。
似た言葉では、
「感情を込める」
やはり感情=心なのかな?!

「魂を込める」
「命を込める」

感情=命?
心=魂?
そんな曖昧な一面は、原文であるサンスクリット語にもありますが、日本語のそれとは少し違う様に感じます。
ここいらで、日本語の定義をハッキリさせた方がいいような気がしませんか?

魂から感情まで「心」で表現するのは無理がありますね。
(一般の会話なら、まあ良いのかもしれませんが、これだけの隔たりは誤解の元かもしれませんね。)
因みにサンスクリットでは、
魂=アートマン
命=プラーナ
感情=マナス
思考=ブッディ
私らしさ=アハンカーラ
心=チッタ
※ヴェーダンタではチッタは記憶などと説明されていて、少し全体像が変わります。

で、決して=では結べません。

しかし、日本語だと、
「私らしく生きる」=「心に素直に生きる」
「心のままに」=「命の赴くままに」
など、割りと=になってしまいそうなのが、「心」という言葉なのです。

「ヨガは結ぶという意味で、心と身体を結びます。」
という、よく聞くセリフは微妙な表現です。
と言うと、そう信じていた人の多くが混乱するのはその為でしょう。

日本人にとって、心は、
魂や精神であり、
思考や感情であり、
なんです。
イコールになっちゃってるんですね。

ヨガでは、
「それらを一緒にしないこと」
と教えます。
特に、精神原理と物質原理についてです。
それを、ヨガの表現にすると、
「真実と真実でないもの」
「永遠なものとそうでないもの」
「私と私ではないもの」
それらを間違えて解釈することを無知といいます。
それらを理解させてくれることを智恵といいます。

これらの理解の混乱が全ての悩みの元となるのです。

ただでさえ混乱し混同しがちなのに、言葉まで一緒になってしまっていては・・・

日本人の私たちは、先ずは言葉の混乱から解消しましょう。

何故なら、世界は言葉で出来ているのだから・・・

6月より2つのコースが始まります。
ヨガの奥深さが気になる方、是非ご一緒しましょう。
詳しくは「こちら」から各ページをご覧ください。

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# by uz-ni-chan | 2017-03-14 20:19 | DG 勉強会