目に見えないもの

こんにちは。
もう冬?ですか???
寒くなりましたね。(^^;;;
連続更新チャレンジ、既に折り返し地点を通過しております。
後半に向けてどんな展開になるか、自分自身期待しております。

さて、今日のタイトルは「目に見えないもの」です。
この時点でまだ、タイトルのみ思い付いた状態です。
はじまり、はじまりぃ・・・

皆様、「目に見えないもの」と聞いて何を思い浮かべますか?
スピリチュアリティな事が好きな人はワクワクするかもしれないですね。
逆にそういった類の事が嫌いな人は「オカルト?!」と眉をひそめるかもしれません。

僕はどちらの立場でもないです。
例えば、天使とか、チャクラとか、オーラとか・・・
スピリチュアル系の方々が好きな事は、「目に見えない何かを、目に見える様に表したもの。」
と理解しています。
なので、その国や文化が色濃く残る表現となります。
ただ、僕がこの人々にいつも思う事は、
「オリジナリティが無いなぁ・・・」
ということです。

だって、確かにチャクラがあると言われる身体の部分には神経叢や腺、重要な臓器がありますから、
瞑想したり観想すると何かを感じる場所ではあります。
だからと言ってハスの花に準えた車輪(チャクラ)っていかにもインド風じゃないですか?!
天使のイメージは?ヨーロッパ風???

「幽体離脱」の様な特別な体験をした人々もそのお国柄を表す様な、
天国に行ってきたり神に会ったりするそうです。
幽霊なんかもお国柄が出ますね。(^^;;;

ってことは元々自分にあった「観念」となります。
見えない事や物を感じるのは個人の自由だし、本人が感じた事はその本人には間違いのないこと。
これは自信をもっていいと思います。
もちろん、過去から語られる情報を、「感じる」手引きや助けにする事も大いに結構だと思います。
がしかし、本当にみんな大丈夫かな???と思うのです。
これは、哲学にも言えますが、先人の知恵や情報は初めの手引きとして、キッカケとしては有益だと思いますが、結局は「目に見えないこと」や「まだ解っていないこと」は自分の責任で自分で導き出すべきだと思うのです。
ただ言われた通りに見えた気がしてそれを口に出す事は非常に危険です。
それはスピリチュアリティではなくて、新興宗教か何かの布教のようになってしまします。

つまり、自身の体験が大切なんです。
それも、いろんな情報に毒されていない純粋な体験が・・・

そんな事を理解しつつ、それでもインド風の、もしくはヨガ風の理解をしたい場合は、
ぜひチャクラを自身の体の中に創り上げてみてください。
どんなに身体を切り刻んでも、実際チャクラが見つかる訳ではないので、自分でイメージして創り上げる事が大切なんです。
イメージして創り上げる為には、イメージできる為の勉強と観想が必要です。
しっかり勉強して素敵なプラーナの身体を作ってくださいね。

前置き?!が長くなりました。

UZはチャクラとかそれ系の知識は「知っている」程度しかありません。
しかし、「目に見えないもの」は沢山あると思っています。

例えば、「エネルギー」とか「力」とか「意識」とかとか・・・
数えだしたらキリがありません。
数式とか記号とか、それらが起こした結果(車が動くとか、電球が灯るとか。)として目に見え、確認は出来るかもしれませんが、実際は目に見えませんよね。

先日書いた「黒いアヒル」はまさに、「目に見えないものを表現した」と言えます。

この世界を世界たらしめている何者か。
空気が帯電している状態から方向性が生まれると「稲妻」が発生するように、ただそこにあるだけでは目に見えないもの。
そこから、生まれてくるいろいろ。。。

ヨガポーズの様に静止した状態を過ごしているとすごく感じるのです。
単に、身体を支えるために筋力を発揮している(アイソメトリック)状態もその一つかもしれません。
ベクトルの矢印の様に感じます。
ただ何となく体を動かしているのと、身体の隅々まで意識しているのでは、
見た目は同じでも「目に見えない何か」が違います。
そんな風にして、いろいろとポーズをしていたら、ふっ、と気付いたのです。
この、目に見えないエネルギーの元(発動因?)。帯電している空気の様な状態。
何にもないけど、この世界、宇宙を満たしている何か・・・
ヨガでは「プラーナ」なんて言うけれど、これはもしかしたら・・・・・・・・・
「愛」なのではないか?!と。。。

愛には「エロス」「フィロス」「アガペー」の段階があり・・・なんて昔このブログに書いた事がありますが、
そんな言葉での理解でなく、全てを包んで「良い」も「悪い」もなく全てを受け入れてくれる「母親」の様な。。。
愛に方向性が無いうちは「良い」も「悪い」もありませんね。
愛は一般的に良いものとして認識されているようですが、場合によっては嫉妬を生んだり憎しみに変わったり、悲しみを運んできます。
方向性を与えているのは人間なんです。
「愛」はただそこに在るんです。
「意識」も「愛」の一つの姿。
意識をする事から人間的な「愛」が始まる事は皆様既に経験済みでしょう。

ポーズ(ポーズじゃなくてもね)をしながら身体の隅々まで意識するという事はつまり、身体の隅々まで「愛で満たす」という事だと言えるのではないでしょうか?
ポーズが出来るかどうか!ではなく、どれだけ丁寧に意識出来るか???
どれだけ「見えない何か」を感じられるか!!!
だと思うのです。
丁寧に意識して「物」を扱えば、その「物」を愛で包む事になるでしょう。

感じてみれば、そこかしこに「愛」が存在しています。
自然の木々や草花、空、動物。
人工的に作られた建築物ですら、愛の形です。

結果、ポーズが出来ても出来なくても、何かが上手くいってもいかなくても、善に見える事も悪に思う事も・・・
全ては「愛」の形であり結果なのだと思うのです。

全て、「ただ、そう」なのです。。。。。。。。。。。。。

なんだか支離滅裂ですいません。
全て行き当たりばったりで書いているので。。。
これも「愛」の化身だと思ってお許しを。

毎日書くって大変ですね。
でも楽しいです。
大きな「愛」を感じているので。


今日は「見えないもの」について・・・でした。

また、明日。。。



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by uz-ni-chan | 2013-10-28 17:24 | 一ヶ月更新2013
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