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感覚的?!理性的?!

こんにちは。
今日は午後から晴れると思っていたらパラパラと雨。
予報通りいかないのが自然ですね。(^_-)-☆
さて、今日も早速はじめます。

UZは自分で非常に「神秘主義」だと思っています。
しかし、そう思ってない人は多いのではないでしょうか?
「理屈っぽい」、「現実的」、このブログでもそんな印象かもしれませんね。
では、何故UZは「神秘主義者」なのか「論理的」に説明してみます。(^^;
(連続更新もほとんど、趣味の域に突入・・・)

「私は感覚的な人間なんで・・・」
とか、
「貴方は理性的(論理的・理論的)ね。」
なんてセリフをよく聞きますね。
そのどちらも、褒め言葉の時も皮肉の時もあります。

文系・理系なんて分け方も似ている様な・・・(違うと思うけど。)
右脳型・左脳型とか???

今日のテーマの「感覚と理性」も哲学の大きなテーマです。
「変わりゆくもの・相対的・物質的・感覚的」
「変わらない物・絶対的・精神的・理性的」
なんとなく似ている括りをしてみました。

感覚って何でしょうね。
視覚・嗅覚・聴覚・味覚・触覚
これらの感覚器官が物体や現象を捉えるさま。。。
でしょうか?
人間は自分が感じた世界がその人の世界と言えます。

ある人物の写真を見せて、その人物について二人に語ってもらいました。
絶対同じ答えは返ってきません。
過去の記憶や経験からどうしても推測が加わってしまうからです。
ある人には「感じの良さそうな人」でも、
違う人からは「調子の良さそうな人」だったり。
同じ人物でも。

今、二人並んで同じ景色を見たとします。
お互いに表現してもらいました。
すると、ある程度同じ答えは返ってくるかもしれませんが、
ほぼ間違いなく「違う」答えになりますよね。
「大きな庭がある。」
「小さな家が建っている。」
ある人にとっては
「広大な庭に大きな家・・・」
に見えるかも???

感覚の世界は信頼できないという事でしょうか???
たぶん殆どあてにならないとUZは思っています。

感覚があてにならない例はいくつもあります。
例えば買い物に行きます。
何も買わずに帰ってきました。
「あれ?手ぶら???」
と聞かれて、
「うん、何にも無いんだもん。。。」
!?!?!?
そんな訳はないですね。(^^;
買いたいものは無かったかもしれないけれど、物は沢山あったはず。
人間自分に必要のない物は認知しなかったりします。
そうやって感覚が捉えた情報を選別し判断しながら生きているのです。

なので、人によって捉え方がまちまち。
今の世の中を
素敵な世界・・・と思う人。
酷い世界・・・と思う人。

そんなまちまちな世界で生きていたら、仕事は出来ないので、
その感覚的な事をお互い同じように理解できるように、数値化したりするのです。
科学や数学の始まりです。
「一辺が何メートルの庭に、どのくらいの大きさの家」
こう言われると、とても理性的に聞こえます。
でも、その数字を聞いて「広い」と思うか「狭い」と思うかはまた感覚なので、また個人差は生まれますが・・・
ただ、共通の理解が得られる事は確かです。

測ったりして表す事が出来る世界を物質世界といいます。
ん???
物質は「変わりゆく物」ものだから感覚世界に属すると言えます。
という事は、物質を測ったりすることは、感覚を理性的に捉えるという事になります。
「私は感覚的なので・・・」
と言う言葉はどちらかと言うと、
感覚的=計算とか理屈苦手=芸術的=直観的=スピリチュアル=文系=感情的・・・
みたいに世の中、使われていませんか???
でも、逆ですよね???
どっぷり物質世界に安住しているから、「感覚的」なんですよね???

感覚的、物質(マテリアル)的な世界を数値化して理性的に理解をするようにしていくとどうなるのでしょう?
「測れるものは測るべき、測れない物は測れる様にするべきだ。」と言ったのは確かガリレオ・ガリレイでしたっけ???
そうやってこの世の中を図って、観察し実験して科学は発展してきました。
なので、科学は感覚的世界を理性的に表現したと言えますよね???
感覚では地球の周りを空が回っている。
けれど、実はその反対だと証明したのは計測と観察の結果ですよね?

それに対して、理性的な世界とはどんな世界でしょうか???
もし、感覚的世界=物質的と言えるなら、
理性的な世界=精神的・観念的・測れない世界・目に見えない物の世界
となります。
では理性は信頼できるのでしょうか?
「机上の空論」
という言葉があります。
「事件は会議室でおきているんじゃない!!!現場で起きているんだ!!!」
みたいな感じ???(すごい感覚的な説明ですいません。(^^;)
いくら計算上成り立っても、世の中はそうはいかないよ!って事ですよね?
あんまり信頼できそうにない???
もしくは、実践的でない???
でも、人間の手に余る大きな世界や小さな世界は計算上または論理で理解するしかない場合もあります。
目に見えない物なら尚更ですよね???
すると、目に見えない世界(宇宙の果てやミクロの世界)を研究する人は非常にファンタジックって事になりませんか???
実験をするには仮説が要ります。理屈を展開するにも同じです。
すると非常に想像力を要します。

古代、偉大な哲学者が自然科学を始めました。
中世には、偉大な神学者が偉大な哲学者でもありました。
ルネッサンスの時代、偉大な芸術家は偉大な建築家でもありました。

非常に混乱します。
理性的・論理的なのは「唯物論者」の代表、
感覚的・芸術的なのは「観念論」や「神秘主義者」みたいに思われている気がするからです。
この雰囲気、なんか納得できない。
UZの理性が許さない。。。

UZは非常に「論理的」(ロジカル)な思考を好みます。
だからこそ、非常に「神秘的」(スピリチュアル)だと自認しているのです。

見えない世界を、観念的に捉え表現したり、見えない世界を視覚(ビジュアル)的に表したりするのは、
ヨガの得意分野です。
それを、論理的に表現することが現代ヨガに求められる事だと思います。
ヨガのいろいろをただのオカルトにするか、現代にも通用する肉体的・精神的・霊的な鍛錬(サダナ)にするかの別れ目だと思います。

理性的な理解からスピリチュアルを目指せばしっかりとグラウンディングしたスピリチュアルに成れると信じて取り組みたいとUZは思っています。

段々と複雑な話しですいません。^_^;

では、また明日。


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by uz-ni-chan | 2013-11-07 17:50 | 一ヶ月更新2013
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