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ヨガに哲学が必要な理由

こんにちは。
10月に入ったのにこの暑さ、そして天候の不安定さ。
皆さまお元気ですか???

今日はさっそく本題に入りますね。

「哲学なきアーサナはヨガではない。」

と言い続けているUZ(DG)です。
このセリフを聞くと、
またか・・・
と思う人もいるかもしれません。

しかし、そんな人にこそ読んで欲しいのです。

ヨガのレッスンを受けると先生が優しいんです。(僕の場合は知りませんが・・・(^^;)
「無理しなくていいんですよ・・・」
「そのままの、ありのままの自分で居ましょうね。」

などなど、一般社会ではあり得ない様なセリフの連発。

これらのセリフを聞いて、ヨガが好きになった人、
「これらのセリフやレッスンで癒されたから、私も癒す人になりたい!」
とインストラクターを目指した人も多いのでは???

また、逆に、
「何綺麗ごと言ってんの?気持ち悪い・・・」
と思った人もいるでしょう。

しかし癒された人も、嫌悪感を抱いた人も、どちらの反応も本質に迫ってない気がするのです。
(癒された事自体は素晴しい事です、否定はしませんよ。)

特に、嫌悪感を抱かせてしまった場合、もしかすると、そのセリフを語った人がただの「セリフ」になってたかもしれません。
それは、非常に残念な事です。
受け止める方も、ただの気休めに癒されるのではなく、本質的な癒し、根本的な解決になる理解ができる為には、少し知っておくと良い事があります。


①「無理をしない・・・」
これは、そのままなのですが、
この無理をしない追求だけでも「ヨガ」の目的にたどり着ける程の深い意味があります。
レッスン前によく話しますね?

「無理をしない・・・」
は言い換えると、
「理にかなわない事をしない。」
「理に合わない事をしない。」
となります。
理(ことわり)とは、真理の事。
つまり、無理をしないのは、「努力しない」とか、「雑にしていい」という意味ではありません。
「真理でない事、つまり自然法則を無視した事をするな!」

と言う意味です。
その為には、真理を追究する必要があります。
真理は「ダルマ」です。(ダルマについては勉強会でやります。)
「無理をしない・・・」
の一言はダルマを追求しなさい!という事であり、
決して甘やかしの言葉ではないのです。


②「ありのまま、そのままの自分・・・」
さあ、自分って何ですか???
先ほどの真理の追究と自分の追究。
これが哲学なのです。

ありのままの、そのままの自分・・・
と語る以上は、「自分(私)」の定義がしっかりしていないと何も意味をなしません。
普段の生活ならいいのですが、(本当は良くないです。言葉の曖昧さは誤解、争いの元です。)
何かを教える人、それも自己探求である、ヨガを教える人が「自分(私)」の定義が曖昧では大変です。
教わる方も、誤解した「自分(私)」像では、悩みが深まるばかりです。

ヨガ(インド哲学)では、「私」というものをしっかりと定義しています。
このインド哲学独特の「私」があるからこそ前出の「ありのままの、そのままの自分」の本当の意味が理解できるようになるのです。

ヨガの「私」のいろいろを、日本語で書くと「真我」「自我」「我」「我慢」「わたし」などと書きます。
ハッキリ言ってよく分かりませんね。
さらに、「霊」だの「魂」だの書いてあるものもあります。
曖昧の極みとしか言いようがありません。

ヨガ哲学で良く出てくる「私」は2種類です。
「本当の私」か「偽りの私」。
しかし、西洋の哲学の多くではインド哲学的に言うと「偽りの私」しか出て来ません。
「偽りの私」を「私」と定義してしまっているのです。
日本人も殆どこれにならえです。

その「偽りの私」を「自我」と言い、ヨガでは「アハンカーラ」といいます。
因みにアハンカーラは、サンスクリット語です。
アハン=私(一人称代名詞・単数)
カーラ=道具
合わせて「私を作り出すもの」エゴの事です。
見ての通り、「私を作り出すもの」は私ではないのですよね?
しかし、それを「私」だと定義しているのが、西洋文化に浸りきった現代人なのです。
偽りの私を、「私」と定義して追求するから「堂々巡り」になります。
答えが無い事は、とても不安を煽り、病的になったり、投げやりになります。
西洋哲学は深めると、「ヤバい奴」になるのは、当然の結果なのです。


それに対して、インドの哲学では、
「本当の私」=「真我」を「私」と定義します。
それを「アートマン」と言います。
これがあると、全ての立場がスッキリ解決します。(講義でやります)
人間にとって、解っている事ほど安心する事はありません。
幸福がやってくるのです。
つまり、幸せになる哲学がヨガ哲学なのです。

「アートマン」の理解のためにヨガをするのですが、
教えるならば、「ダルマ」「カルマ」「輪廻転生」などなども、
全て、必要な知識です。
スートラを読むにも、ギーターを読むにも必要です。

これらを知らずに、
「そのままでいいんだよ!」
と言うのは、その場の慰めや気休め、無責任なセリフとしか言いようが有りませんね。
気休め的な「ブッダの癒しの言葉集」みたいなのも、背景の思想抜きでは正直どうかと思います。
現実逃避的になってしまいます。

もちろん、慰めや気休めは必要ですし、否定はしません。
しかし、そんな程度なら、ヨガをしてなくても、ヨガの先生でなくても、仲の良い友達や家族ならしてくれる事です。

本当の自分とは何か???
それ(真理)を知る事で、全てが解決する。
そう考えるのがヨガなのです。

ちょっと知るだけで、自分のヨガの奥深さを知れます。
ちょっと知るだけで、自分のティーチングに自信が持てる様になります。
ちょっと知るだけで、ぐっと幸せになれます。

それが、ヨガ哲学なのです。

来年から始まるDG会で是非一緒に勉強しましょう!
お会い出来るのを楽しみにしております。

詳しくは「こちら」をご覧下さい。

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by uz-ni-chan | 2016-10-02 16:25 | Yoga
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