心について。。。

心(こころ)は非常に多義的・抽象的な概念であり文脈に応じて多様な意味をもつ言葉であり、人間(や生き物)の精神的な作用や、それのもとになるものなどを指し、感情、意志、知識、思いやり、情などを含みつつ指している。
Wikipediaより。

日本人は「心」というものを非常に大切にします。(日本人以外もそうですが・・・)
しかし、上記のWikipediaからの引用にあるように「心」についての定義が曖昧なため、
「心」について語るとき、かなりの幅が出来てしまい、人それぞれの解釈で共通の理解をした、となりがちです。

その例が、ヨガの文献の訳にもよく表れています。
「ヨガとは心の働きを止滅する事である。」ヨーガスートラ1-2
(あえてよくある日本語訳を記してみました。)

ここで、「心」と訳されているのは、原文では「チッタ」です。
ヨーガ哲学の背景となるサーンキャ哲学の「チッタ」は、
ブッディ(知性)・アハンカーラ(自分意識)・マナス(感情)の三つの総称です。
※ヴェーダンタで言うところの「チッタㇺ」と混乱しないでくださいね。

しかし、この三つの中の一つである、マナスを「心」と訳されていることがよくあるのです。
チッタが「心」なのに、その中の一部分であるマナスも「心」。
おかしいですね。
このあたりから、日本人は
感情=心
と捉えている可能性が見出せます。

しかし、
「心を込める」
など、もっと深い意味を含んだ使い方をするのも日本人です。
似た言葉では、
「感情を込める」
やはり感情=心なのかな?!

「魂を込める」
「命を込める」

感情=命?
心=魂?
そんな曖昧な一面は、原文であるサンスクリット語にもありますが、日本語のそれとは少し違う様に感じます。
ここいらで、日本語の定義をハッキリさせた方がいいような気がしませんか?

魂から感情まで「心」で表現するのは無理がありますね。
(一般の会話なら、まあ良いのかもしれませんが、これだけの隔たりは誤解の元かもしれませんね。)
因みにサンスクリットでは、
魂=アートマン
命=プラーナ
感情=マナス
思考=ブッディ
私らしさ=アハンカーラ
心=チッタ
※ヴェーダンタではチッタは記憶などと説明されていて、少し全体像が変わります。

で、決して=では結べません。

しかし、日本語だと、
「私らしく生きる」=「心に素直に生きる」
「心のままに」=「命の赴くままに」
など、割りと=になってしまいそうなのが、「心」という言葉なのです。

「ヨガは結ぶという意味で、心と身体を結びます。」
という、よく聞くセリフは微妙な表現です。
と言うと、そう信じていた人の多くが混乱するのはその為でしょう。

日本人にとって、心は、
魂や精神であり、
思考や感情であり、
なんです。
イコールになっちゃってるんですね。

ヨガでは、
「それらを一緒にしないこと」
と教えます。
特に、精神原理と物質原理についてです。
それを、ヨガの表現にすると、
「真実と真実でないもの」
「永遠なものとそうでないもの」
「私と私ではないもの」
それらを間違えて解釈することを無知といいます。
それらを理解させてくれることを智恵といいます。

これらの理解の混乱が全ての悩みの元となるのです。

ただでさえ混乱し混同しがちなのに、言葉まで一緒になってしまっていては・・・

日本人の私たちは、先ずは言葉の混乱から解消しましょう。

何故なら、世界は言葉で出来ているのだから・・・

6月より2つのコースが始まります。
ヨガの奥深さが気になる方、是非ご一緒しましょう。
詳しくは「こちら」から各ページをご覧ください。

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by uz-ni-chan | 2017-03-14 20:19 | DG 勉強会
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