カテゴリ:DG 勉強会( 10 )

知識(ヴェーダ・ヴィディヤー)

ヴェーダはヴィド(知る)という言葉から派生した言葉で、知識・知る手段などの意味をもち、インドに伝わる聖なる知識です。


その文献はシュルティ(天啓聖典)といわれ、「聞かれたもの・・・」という様な意味です。

人間が考え出したのではなく、知った(聞こえた)だけなのです。


それを、啓示と言えばそうでしょうが、科学的な発見もすべて同じですね。

全ての発見は人間が創ったのではなく、そこに在ったことを見つけただけなのです。


なので、ヴェーダは人間が考えたのではないから哲学じゃない!という意見もあるほどです。


なるほど・・・そうとも言えますね。

相対性理論の発見は哲学じゃないですもんね。


しかし、科学は元々哲学の延長線に出来上がったともいえるので、兄弟のような関係です。

やはり、区別しているのは人間であり、言葉でしかないのかもしれませんね。


ヴィディヤーも元を同じくした言葉で、知識以外に学問などの意味もあります。

余談ですが、サンスクリット語で学校の事を「ヴィッディヤーラヤハ」なんて言います。

ヴィッディヤー(知識・学問)、アーラヤハ(家・場所)です。


そのヴィディヤーのア(否定)がアヴィディヤー(無知)ですが、ヨーガスートラには、

「無知とは、無常を常、不浄を浄、苦を楽、自己ならざるものを自己とみなすことである。」Ⅱ-5

とあります。

これらの対は全て同じことを言っています。

つまり、真理と真理でない事の見誤りです。


非常にシンプルなのですが、シンプル過ぎて見誤り易い事でもあります。

これら真理とそうでない事を見極める能力、識別力のことを、「ヴィヴェーカ」といいます。


例えば、

無常(変わりゆくもの)と常(変わらないもの)の見誤りは、

「明日は今日と同じようにやってくるはず・・・」

などの考えです。


そんな事は無い、明日が同じ様にやってくるとは限らない、そんな事は分かっている!

と言うかもしれません。

しかし、本気で思っていたら、毎日をもっと真剣に丁寧に生きるでしょう。


つまり、「するべき事と、せざるべき事」が分かるようになります。

これを、「カーリヤーカーリヤ(カーリヤ アカーリヤ)ヴィヴェーカ」と言います。


何か失敗をして落ち込んだとき、「私なんて生きている価値は無い・・・」

と思い詰めるのも同じ無知が原因です。

失敗する前とした後、自分という存在は何も変わっていないのにもかかわらず、そう思い込む事。


何が、無常で何が常か?

これを見極める能力・識別力を「ニッティヤーニッティヤ(ニッティヤ アニッティヤ)ヴィヴェーカ」と言います。


原文では常は「ニッティヤ」です。

これは、常と言う意味以外にも永遠と言う意味を持ちます。

変わらない=生まれも死にもしない=永遠

です。


自己ならざるものを自己とみなすこと・・・

も全く同じ意味です。


「あなた、変わっちゃったね・・・」

友達同士でよく交わされる気まずいセリフ。


たいていは、変わってしまった友人への批判で言うのですが、

これは、無知のなせる業です。


人間は変わります。


変わっちゃったね・・・

というあなたも変わっているのです。


この俗世に変わらない物など何もありません。

変わらないのは、それらを認めている本質のみ。


つまり、自己(アートマン)のみです。


自己=変わらない=生まれも死にもしない=永遠

しかし、肉体などの私感覚は無常です。


その私感覚をもってして「私は変わらない!」と決めつけているその考えが無知なのです。

むしろ、変わっていくように見える友人のほうが、ダルマです。


友人を語るなら、あなたも私も変わっていくけれど、それでも変わらぬ本質においては一つであると知ることが大切です。

これが理解できるならば、全ては友人であり、友人ではありません。

それらは、ただの言葉による区別です。


この世界、周りの全て、周りの人々には、一瞬、一瞬のご縁を精一杯向き合うのみ。

一期一会

それ以外に方法はないのです。

夫婦や家族ですら一緒です。

永遠の愛は、「誓ったから」「戸籍を入れたから」存在するのではなく、今の絶え間ない努力の繋がりです。


肉体的には永遠の関係は存在しません。

それを、無理に約束しようとしたり、無理強いするからこじれるのです。


今の連続が未来です。

変わらぬ関係などないのです。


1人では孤独だ・・・

だから、友人は多い方がいい・・・

そんな杓子定規な固定観念なんて捨ててしまいましょう。


というより、元々私たちは本質において永遠で一つなのだから。。。

繋がりに執着する事自体が無知であり、悩みや争いを生むのです。


友達は多くても少なくてもいいのです。


それよりも、アヒムサーであり、サティヤである事が大切です。


真理のみが本当の友達だからです。


トヴァメーヴァ マーター チャ ピター トヴァメーヴァ

トヴァメーヴァ バンドゥス チャ サカー トヴァメーヴァ

トヴァメーヴァ ヴィディヤー ドラヴィナン トヴァメーヴァ

トヴァメーヴァ サルヴァン ママ デーヴァデーヴァ


あなただけが、母であり、父、あなただけが・・・

あなただけが、親族であり、友人、あなただけが・・・

あなただけが、知識であり、宝、あなただけが・・・

あなただけが、私の全て、おぉ、神よ、神よ・・・


美しくて大好きな句をご紹介しました。


あなた=母=父=親族=友人=知識=宝=私の全て=神

なんです。


だから、戦争もダメだし自殺もダメ、肉食も控えるべきなのです。



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by uz-ni-chan | 2017-09-03 20:38 | DG 勉強会

アートマン(真実の自分)

先日紹介しましたが最近、「初心者向けヨガ講座」というのをレギュラーレッスンHPで更新しております。

良かったら、読んでみてください。


上記の講座でも「真実の自分(アートマン)」の説明を簡単にしましたが、このブログではもう少し慣れた方向けに書きたいと思います。


プチヨガ哲学講座です。(^^)


さて早速始めます。

ヨガの目的でもある、「真実の自分」の事をサンスクリット語で「アートマン」と言います。


アートマンをプルシャとも言います。

プルシャは「人」程度の意味でも使いますが、ヨガ哲学として語られる場合は、アートマンと同義と捉えて良いでしょう。


その真実の自分であるアートマンは「観る者」と表現されます。

この世界(俗世)のその他の全ては「観られる者」です。

※観られる者を「プラクリティ」と言います。


自分で認識できるものは全て「観られる者」です。

真実の自分は「観る者」であって決して「観られる者」にはなり得ません。

つまり、五感(聴覚、触覚、視覚、味覚、嗅覚)では絶対に知覚できません。

それは、「目は自身である目を見る事はできない。」「刀は自分で自分を切れない。」などと例えられます。


皆さんは、自分の身体は知覚出来ますよね???実際見えるし触れますもんね。

自分の心は???掴みどころはないけれど、解りますよね?

自分の思考は???「私の考え」、「私のアイディア」なんて言うくらいだから知覚の範囲内ですね。

つまり、自分で分かっている自分は全て「真実の自分ではない」のです!?

それらは、「偽りの自分(アハンカーラ)」とヨガでは言います。

衝撃の事実ですね。(^_^;)


本当の自分に気付く方法であり修練がヨガなのに、知覚出来ないならヨガなんて意味がないのでは???

そう思いますよね?

実際そう考える人達もいます。

ヨガ=体操の様なポーズ…

と思っていればそうかもしれませんね。


五感で知覚出来ないなら、行為ではたどり着けないという事になりますので。


そう考える人達は、「知識」によってアートマンに迫ろうとします。

その知識を伝えるのが、「ヴェーダ」と言われる聖典です。


しかし、その聖典ですら、知覚出来ないアートマンの説明は逆説的になります。

つまり・・・

「それはあなたとは違う、それも違う…」とアートマンでない物を否定していく方法でしか、説明が出来ないのです。

違うという根拠が事実としてある以上、「それは真実のあなたではない」としか言いようがないのです。


それらをすべて否定した(自己否定)末にそこに在るのが、「真実の自分」なのです。

※自己否定と言っても、偽りの自分の否定ですので非常に前向きな行為です。


その真実の自分は・・・


サット・チット・アーナンダ


だと、聖典は言います。

サット・・・真実・実在・善い・純潔な・至高精神・・・

チット・・・意識・知性・純粋・魂・・・

アーナンダ・・・幸福・喜び・至福・至高・神・・・


良い悪いなどという二元性を超えたその存在は「に非ず、に非ず…」と表現をする以外にいろんな表現を尽くして表そうとしています。(言葉では表現できないのが本性ですが・・・)

それが、サッチダーナンダ(サット・チット・アーナンダ)なのです。


しかし、ただ頭で知っても???な人も多いのでは?


なので、「行為」によって経験的に

「これは自分じゃない、これも違う・・・」

と身をもって学んでゆくのです。

ここに、行為として取り組むヨガの意味が出てきます。


ヨーガスートラにあるアシュタンガにも「スヴァディヤーヤ」という項目があります。

頭で知って、経験でも納得する事。

それが大切なのです。


そして、それらの知識と経験による気付きによって、無駄に背負い込んでいる重荷を減らしてみて下さい。


重荷(肩書きや思い込み)が減るほどに、「サット・チット・アーナンダ」なあなたに近づいていることでしょう。


それまでは、真実の自分は「真実で、全てを知っていて、喜びでしかない存在」なんだ!と信じてヨガの修練を積んでみて下さいね。


気が付けば「ダルマ」の道に則って進んでいる自分に気付くかもしれませんね。(^_-)-☆


で・・・

偽りの自分と知った自分の身体やら心やらという物たちとどう付き合えばいいか???

真実の自分じゃないからどうでもいい???


いえいえ、

「それらはあなたです。」

から。。。

全てに対して、丁寧に愛をもって向き合ってくださいね。(^_-)-☆


これが納得できれば、大したものです。

ヨガが深まっている証拠ですね。


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by uz-ni-chan | 2017-08-28 16:04 | DG 勉強会

美しき「世界」という女神2

गंगे च यमुने चैव गोदवरि सरस्वति ।

नर्मदे सिन्धु कावेरि जलेऽस्मिन् सन्निधिं कुरु ।।


ガンゲー チャ ヤムネー チャイヴァ ゴーダヴァり サらっスヴァティ

ナるマデー シンドゥ カーヴェーり ジャレースミン サンニディム クる


ガンガー女神よ! ヤムナー女神よ! ゴーダヴァリー女神よ! そしてサラッスヴァティー女神よ!

ナルマダー女神よ! シンドゥー女神よ! カーヴェーリー女神よ!

この水に、顕れてくれますように・・・


これらの女神は、川の名前でもあります。

生命の源とも言える水を女神へと擬人化し崇拝してもおかしな事ではありませんね。


沐浴(シャワーやお風呂でも)する時にこのお祈りを唱えます。

その行為により、水の神聖さ貴重さを思い出し感謝するのは、水道の蛇口を捻れば、綺麗な水が出るのが当たり前になりがちな私達、日本人には大切かもしれませんね。


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by uz-ni-chan | 2017-06-09 11:17 | DG 勉強会

名東サーダナコース スタート間近!

みなさん。
こんにちは。

お元気ですか?

先月、一年間続けてきた「名東ギャーナコース」の最終回でした。
10回という限られた時間でヨガの哲学的な事をお伝えするのはとても難しい事です。
しかし、皆さんの今後のYogaの為、進む方向を照らす一助となれたならうれしいと思います。
お疲れ様でした。
そして、引き続き「サーダナコース」にご参加の方、これから半年、よろしくお願いします。

さて、6月18日(日)より名東区のPHYLEXスタジオさんにて、半年間(6回×3時間)の「サーダナコース」がスタートします。

あと若干名参加可能です。
迷っている方は、一度メッセージ下さいね。
お待ちしております。

詳しくは「こちら」をご覧ください。

是非ご一緒しましょう。(^^)

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by uz-ni-chan | 2017-06-06 08:49 | DG 勉強会

美しき「世界」という女神1

करग्रे वसते लक्ष्मीः करमघ्ये सरस्वती ।
करमूले िस्थतै गौरी प्रभाते करदर्शनम् ।।
カらグれー ヴァサテー ラクしゅミーヒ カらマディエー サらスヴァティー
カらムーレー スティタウ ガウりー プラバーテー カらダルシャナム

朝起きた時のお祈りです。

手先にはラクシュミー女神が住んでいます。
手のひらにはサラッスヴァティー女神が・・・
手の付け根にはガウリー女神が・・・
日の出に手を見ます。。。

手は技術や行為の象徴ですね。
その手が成し得ることは、女神たちの計らい、恩恵だという意味です。
富も技術も美も与えてくれるのは彼女達・・・
「自分の力だけで何とかなる・・・」
という人間特有の傲慢さを捨てて、また、
「間違った行為に手を染めないように・・・」
と、自分の持てる力を存分に発揮できるように女神「シャクティ」(能力)にお祈りします。
毎朝、手を見ることによって傲慢さを捨てて感謝をする気持ちを思い出します。

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by uz-ni-chan | 2017-05-12 07:17 | DG 勉強会

ヨガの気持ちに戻れる会、それがDG会

こんにちは。
GWも終盤ですね。
みなさまお元気ですか???

春先から忙しく続くいろいろが、このGWでひと段落する人が多いのでは???
家族の為、仕事の為と忙しく過ごしてきた方が多いでしょう。
お疲れ様でした。

そろそろ自分の為のプランを考える時期ですね。

さて、6月から始まる春日井ギャーナコース・名東サーダナコースの両コース(通称DG会)も参加者を募集しております。

ギャーナコースは一年ほど継続してYogaを練習した方で、Yoga哲学に興味がある方はだれでも参加できます。
半年で10回行うという今までにない短期のパターンです。
詳しくは「こちら」

サーダナコースは3年ほどの継続練習をされた方か、DG経験者(レギュラーレッスンも含みます)が対象の6回コースで、哲学と練習(サーダナ)同時進行の3時間×6回です。
詳しくは「こちら」

どちらも年内で終わります。
今年中に何かをしたい・・・
と思っている方、是非お待ちしております。

特に、春日井コースは5月15日で一旦受付を終了しますので、お早めにお申し込み下さいね。
名東も段々と定員に近づいていますので、こちらもお早めに!!!

DG会はどんな会かというと、
「Yogaな気持ちに戻れる会」
と思ってもらえれば良いと思います。

普段の忙しい生活に追われてしまうと、どうしても気持ちが穏やかで居られなくなるものです。
そんな時、自分を責める事なく、気持ちをリセットし新たにする場所って必要なんです。
一応○○回コースとしていますが、毎月安心して「Yogaな気持ちに戻れる場」だと思ってもらえれば大丈夫です。

何か新しい知識や技術を獲得する事で自分を落ち着けようとするのではなく、
シンプルにYogaに向き合うことによっての安心感。

皆さんが落ち着いて普段の生活に戻れるように送り出す場・・・
そんな場であれたらいいなぁ・・・と僕らは思っております。

沢山の方々とお会い出来たら嬉しいです。
エントリーお待ちしております。

DG会の様子です。(^^)

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by uz-ni-chan | 2017-05-06 16:00 | DG 勉強会

Yoga=・・・

こんにちは。

春らしくいい季節になりましたね。
皆様お元気ですか???

今日は梅森ギャーナコース第四回目でした。
これからしばらくはサーンキャ哲学についての講義が続きます。
皆さん楽しんで下さいね。

Yogaの背景にある哲学が理解できると、レッスンで先生が話す言葉の意味(真意)が解ります。

例えば、
健康で幸せである現状に感謝しましょうね。。。
なんてセリフ。
これは、
「ヨーギー(Yoga実践者)は多くを望まず、現状に感謝できる大きな心を持った人」
です。
もしくは、
「無理やりにでも感謝しましょう!それが練習です。」
なんて側面は、まあ…あります。(^^;

しかし、これは、何故そうなるのか???
と言うところが見えないので精神論的になります。

何故そうなるのかが見えれば、そうしようと本人は思わなくてもそうならざるを得ない事が分かってきます。
では、見える化してみます。(^^)

Yoga=自分を知る練習(ここは大丈夫ですね?)
②自分を知る練習=自分を意識する練習(意識的に客観的に見なければ自分は知れません。)
自分を意識する練習=身体を動かしたり呼吸したり、と普段の「当たり前」を「当たり前」にしておかない練習
※ここで別の公式です→当たり前」の反対=「有難い」(これを加味して次に進みます。)
④身体を動かしたり呼吸したり、と普段の「当たり前」を「当たり前」にしておかない練習身体を動かしたり呼吸したり、と普段の「当たり前」を「有難く」感じる練習
※ここでもう一つの公式→有難い=ありがとう(感謝)
ゆえに・・・

∴Yogaの練習=感謝をする練習

という図式が成り立つのです。
本人にその気が無くても、きちんとした方法で練習をすれば、感謝や思いやりの気持ちが生まれるのがYogaなのです。

これ自体はYoga哲学とは少し離れますが、こんな風に自分の言動にしっかりした理由を感じていれば、心の揺れ動き(チッタヴリッティ)は少なくなりそうではありませんか???

他にも、以前ブログでも紹介した、(「ヨガに哲学が必要な理由」参照)
「無理をしないでくださいね・・・」
というセリフも見える化すると、
前提として・・・Yoga=真理の追究
①無理をしない=理にかなっていない事をしない
②理(ことわり)=真理
※①を実現するためには②を知らなければならないため、前提にあるようにYoga(真理の追究)をします。
つまり、

∴無理をしない練習=Yoga

という図式になり、
無理をしない様に促す事は、大変重要な事となるのです。

これも哲学の本題とは少し外れますが、でも哲学的に「真理を追究する事」もYogaとなります。

自己の探求=真理の追究

この辺りがしっくりきた頃には、いろいろな迷いが消え去っている事でしょう。

そんなYoga哲学講座「ギャーナヨガコース」を春日井で開催予定です。
6月より年内に10回行う予定です。
詳しくは「こちら」をご覧下さい。

又、哲学もアーサナなどの実践も!と言う方は「サーダナコース」を!
こちらも6月より、名古屋市名東区の「スタジオPHYLEX」さんで開催します。
こちらは、6回コースです。
詳しくは「こちら」をご覧ください。

※名東サーダナコースは段々と定員が近づいていますので、迷い中の方はお早目の決断を!

エントリーお待ちしております。

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by uz-ni-chan | 2017-04-25 20:20 | DG 勉強会

アーサナは何のため???

みなさんこんにちは。
やっと春がやってきましたね。

今日は桜が満開でした。
花見に出かけた方も多いのでは???

さて、今年もあっという間に3ヶ月を経過しました。

年明けから始まったDG勉強会も段々と中盤に差し掛かります。
これからが本格的な哲学です。
楽しみにしていてくださいね。

哲学とは・・・
西洋、東洋問わずいろいろな考え方がありますが、インドのそれは、「真実の自分」を知る事に尽きます。
なので、DGではアーサナもその為におこないます。

自分を知る???

非常に簡単な例では。
自分が普段どんな姿勢で歩いているか?
どんな表情で話しているか?

もし知らないでいたら???

相当な損をしそうですね。

自分では足を挙げたつもりが挙がっていなかったら???
躓いて転びます・・・(^^;

自分は相手に好意を持っているのに、自分の表情が不愛想な事に気付いていなかったら???
思いは伝わらないでしょう。

自分ではあまり食べてないつもりなのに、つい食べ過ぎてしまっていたら???
太ります。
病気を誘発します。

これは、ほんの表面的な事ですが、自分を知らないと損をする例です。

では、それらはどうすれば防げるのか???

自分を観察して、自分を知ればいいのです。
つまり、今の自分に気付くことです。
気付かない事には、癖は修正は出来ません。

自分の限界を知る事も大切です。

自身の限界を知らずに無理をしたり、背伸びをしたり、過小評価に苦しんだりして、
肉体的にも、精神的にも病んでしまう人が多いものです。

これらの自己観察は、慣れればどんな時でも可能なのですが、何か他の目的を持った行動中(仕事など)に行うのは少し高度です。
また、何もせずにジッとしながらする(瞑想など)のもかなり高度です。
それらに比べ、目に見える身体の観察は簡単です。
先ずは自分に集中できる環境をつくり、シンプルな繰り返しの動きの中で行うと上手くいきます。
つまりアーサナです。

Yogaでは気づきを大切にします。

先ずは当たり前にいつも見ていると思っている自分の身体からじっくり観察しましょう。
しかし、この観察の仕方はコツがあります。
良く知っていると思っている自分も、コツが分かると実は殆ど知らない事に気づくでしょう。

ここで学んで欲しいのは、
「気付き方」
です。

その気付き方、はその後本格的な自己観察をするにあたり、
又は、ヨガ哲学などを学ぶにあたり非常に重要なテクニックとなるのです。

哲学(自己探求)を学ぶにも、事前準備が必要なのです。

Yoga哲学を勉強する「ギャーナコース」では、前半の三回が事前準備となります。
その内容は哲学と言うより、その取り組み方と言ったほうがいいのかもしれません。

何を(ダルマ)どの様に(カルマ)どんな態度(バクティ)で取り組めば良いのか???
です。

それに加え、アーサナにより実践力、忍耐力、集中力を養っておく事は非常に重要です。

いくら頭で知っても、実践を伴わなければ意味がない。
ただただ実践しても、意味が解ってなければ危険である。

この二つのバランスが重要だからです。

Yogaをただの健康体操やアクロバットのパフォーマンスとしてしまうのは非常に勿体ない。
この世の中を幸せに生きる為の方法、そして世界を平和に変える可能性に満ちた哲学的な体系である事を知ってほしいとDGは願っています。
それを理解するには、身も心も準備が必要です。

Yogaが世の中に広がる事は嬉しいですが、Yogaが何であるかも同時に伝わってほしいと願っています。
DGはその為に勉強会を開催しております。

Yogaの本質を知りたい方。
Yogaの本質を伝えたいと思う方。
是非一緒に学びましょう。

六月より、二つのコースが始まる予定です。

内容の深さに比べたら、超お値打ちだと自負しております。
人生が楽しくなった方も沢山いらっしゃいます。

エントリーお待ちしております。(^^)

※写真はSPレッスンでの一コマです。
サーダナコースでは、積極的に写真の様なアーサナもおこないます。
ギャーナコースは簡単なアーサナ程度ですのでご安心を・・・
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by uz-ni-chan | 2017-04-09 21:56 | DG 勉強会

心について。。。

心(こころ)は非常に多義的・抽象的な概念であり文脈に応じて多様な意味をもつ言葉であり、人間(や生き物)の精神的な作用や、それのもとになるものなどを指し、感情、意志、知識、思いやり、情などを含みつつ指している。
Wikipediaより。

日本人は「心」というものを非常に大切にします。(日本人以外もそうですが・・・)
しかし、上記のWikipediaからの引用にあるように「心」についての定義が曖昧なため、
「心」について語るとき、かなりの幅が出来てしまい、人それぞれの解釈で共通の理解をした、となりがちです。

その例が、ヨガの文献の訳にもよく表れています。
「ヨガとは心の働きを止滅する事である。」ヨーガスートラ1-2
(あえてよくある日本語訳を記してみました。)

ここで、「心」と訳されているのは、原文では「チッタ」です。
ヨーガ哲学の背景となるサーンキャ哲学の「チッタ」は、
ブッディ(知性)・アハンカーラ(自分意識)・マナス(感情)の三つの総称です。
※ヴェーダンタで言うところの「チッタㇺ」と混乱しないでくださいね。

しかし、この三つの中の一つである、マナスを「心」と訳されていることがよくあるのです。
チッタが「心」なのに、その中の一部分であるマナスも「心」。
おかしいですね。
このあたりから、日本人は
感情=心
と捉えている可能性が見出せます。

しかし、
「心を込める」
など、もっと深い意味を含んだ使い方をするのも日本人です。
似た言葉では、
「感情を込める」
やはり感情=心なのかな?!

「魂を込める」
「命を込める」

感情=命?
心=魂?
そんな曖昧な一面は、原文であるサンスクリット語にもありますが、日本語のそれとは少し違う様に感じます。
ここいらで、日本語の定義をハッキリさせた方がいいような気がしませんか?

魂から感情まで「心」で表現するのは無理がありますね。
(一般の会話なら、まあ良いのかもしれませんが、これだけの隔たりは誤解の元かもしれませんね。)
因みにサンスクリットでは、
魂=アートマン
命=プラーナ
感情=マナス
思考=ブッディ
私らしさ=アハンカーラ
心=チッタ
※ヴェーダンタではチッタは記憶などと説明されていて、少し全体像が変わります。

で、決して=では結べません。

しかし、日本語だと、
「私らしく生きる」=「心に素直に生きる」
「心のままに」=「命の赴くままに」
など、割りと=になってしまいそうなのが、「心」という言葉なのです。

「ヨガは結ぶという意味で、心と身体を結びます。」
という、よく聞くセリフは微妙な表現です。
と言うと、そう信じていた人の多くが混乱するのはその為でしょう。

日本人にとって、心は、
魂や精神であり、
思考や感情であり、
なんです。
イコールになっちゃってるんですね。

ヨガでは、
「それらを一緒にしないこと」
と教えます。
特に、精神原理と物質原理についてです。
それを、ヨガの表現にすると、
「真実と真実でないもの」
「永遠なものとそうでないもの」
「私と私ではないもの」
それらを間違えて解釈することを無知といいます。
それらを理解させてくれることを智恵といいます。

これらの理解の混乱が全ての悩みの元となるのです。

ただでさえ混乱し混同しがちなのに、言葉まで一緒になってしまっていては・・・

日本人の私たちは、先ずは言葉の混乱から解消しましょう。

何故なら、世界は言葉で出来ているのだから・・・

6月より2つのコースが始まります。
ヨガの奥深さが気になる方、是非ご一緒しましょう。
詳しくは「こちら」から各ページをご覧ください。

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by uz-ni-chan | 2017-03-14 20:19 | DG 勉強会

DGギャーナコース2017 2日目終了

こんばんは。
先週は真冬の様な寒さでしたが、皆様お元気ですか???

先週、稲沢・安城と連続してDGギャーナコースがありました。
複数会場に参加された方もみえ、理解が深まっている様です。
哲学的思考もアーサナと同じで繰り返しが大切です。
是非積極的に参加して下さいね。

先回の「ダルマ」に続き今回のお題は「カルマ」でした。

皆さん、いかがでしたか???
復習、そして予習にどうぞ。

講義の途中でこんな質問をしてみました。

「皆さん、本音で生きていますか???」

そう思う人は手を挙げて下さい。
すると、手が挙がるのはほんの数人です。

「じゃ、手を挙げなかった人、何で本音で生きれないの???」

「嫌われたくない・・・」
「いい人に見られたい・・・」
「場を乱したくない・・・」
様々な意見でした。

本当にそう思ってるの???
なら、皆さん本音で生きているじゃないですか???

だって、
「嫌われたくない」、「いい人に見られたい」、「場を乱したくない」
って、立派な本音でしょ???

?!

思ったように生きる事、
つまり、欲望のまま、感情のままに生きる事を
「本音で生きる」
だと、勘違いしていませんか???

さて、本音って何でしょうね???

感情?
本心?
自分の考え?

生れたばかりの頃は、本音=感情でしょう。

しかし、実は身体だけでなく、本音も育つものです。

思いやりという感情を兼ね備えた人間という生き物は、原始的な感情だけで生きていては自分も周りも傷つけてしまう。
と学びます。
すると、自分も周りも傷つけないように・・・と感情を抑える術を身に着けるのです。

これを、「大人になる。」といい、決して悪い事ではありません。
しかし、そういう自分の「本音」を知らないでいると、抑圧された感情がストレスを生み、病んでいくのです。

結局、皆本音で生きているのです。
ただ、本音に気付かないでいるからストレスなのです。
気付いてあげてください。
そう!自己観察=ヨガをするのです。
そして、必要のない抑圧からは解放してあげてください。

カルマの法則の中に生きる私たちは、それを認識しながら日々の生活を平等に経験していけば、何が必要で必要でないか?!が見えてきます。
これも自己観察=ヨガのたまものです。

この世のいろいろを体験し、自身も世界も平等に見る練習、それがヨガであり、それを助けるのが哲学なのです。

六月より始まる予定の、
二つのコースで参加者募集中です。
名古屋市名東区、日曜日「サーダナコース」
春日井市、月曜日「ギャーナコース」
です。

是非、ヨガの基本となる哲学を一緒に学びましょう。


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by uz-ni-chan | 2017-03-12 22:31 | DG 勉強会