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インストラクター勉強会、安城にて開催!

皆様こんにちは。
今回は勉強会のご案内です。

インストラクター向けの勉強会を安城にて開催いたします。
日時・・・12月6日(金)13時〜15時 平日開催!
場所・・・安城市 桜井福祉センター (安城市桜井町新田20番地)
参加費・・・2,500円(内容からすれば格安だと思います!主催者様ありがとうございます。)

今回の内容は事前に伺っている質問に答える形となりました。

質問例
・骨盤・肩甲骨について
・アーサナの肉体的なエクササイズ効果について
・コブラのポーズでの脊柱(背骨)について
・シークエンスの組み立て方について
などなど・・・
※当日時間が許す限り質問にお答えしますので、ご用意ください。

どれも、一つの質問で一日以上費やせるテーマですが、
今回はザックリと質疑応答形式で行い、来年以降シリーズ化の希望があれば、掘り下げてより深く行いたいと思います。

今回は肉体的な質問が多いですが、ヨガ実践者として、時に哲学的なお答えが出来ればと思っています。
参加希望の方は、「Deep Grounding HP」よりメッセージを頂くか、このブログにコメント下さい。
DG HPは「こちら」から

お待ちしております。
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by uz-ni-chan | 2013-11-29 11:52

発想の転換?!(光について・・・続編)

皆様こんにちは。
またまた寒くなってきました。
今年は冬がながくなりそうですね。

先日終了した連続更新のブログで「光」について書きました。「絶対者」参照
そのせいか、それ以来また「光」について考えています。

そんな話が好きな人だけついてきて下さい。(たぶん、滅茶苦茶な文章になります。)

「光の速度は絶対」だと先日お話しました。
自分がどれだけ早く追いかけても光は約秒速30万㎞で逃げていくと・・・
それを知った時からずっと、「絶対者」の存在は意識していました。
しかし、最近まで「秒速30万㎞が絶対最速!」以外はなんの疑いも持ちませんでした。
しかし、そう教わったからそう思うだけで、実際は違うかもしれませんよね???

「光の速度を絶対とした相対性理論は、光以外を絶対基準にしたら世界は変わるのだろうか???」

との疑問を投げかけたら、ブログにいろいろとコメントを頂いた方が、詳しい人に聞いてくれたり、Yahoo!の知恵袋に投稿してくれたりとしていただきました。(ありがとうございます。)

その時の意見を読んだり、聞いたりしていてカントの言葉を思い出したのです。
「人間は時間と空間の中に物事を捉える。これは生まれもった性質だ・・・」
と、そんな感じの言葉です。(実際の文章は知りません)(^^;;;

つまり、僕らは全ての現象を「時間と空間」の中に押し込めて理解するという事です。
確かに・・・
因果律もそうですね。
原因と結果は時間的な感覚が無いと起こりえない考えです。

という事は???
秒速30万㎞は光の速度ではなく、
もしかしたら、人間が時間と空間の感覚に勝手に押し込んで理解しているのか???
人間が認知できる最高速度が秒速30万㎞なだけではないかと考え始めたのです。

つまり、光がもっと速かったとしても、人間には秒速30万㎞以上の認識は出来ないのではないか?!
という事。
更に、光に速度なんてあるのか???
とも思ったのです。

つまり、光はそこに既に在るのです。

それを認識出来るのは人間の限界である秒速30万㎞。
そこに既に在り、全てに既に在るものならば、自分がどれだけ速く追いかけても、どれだけ速く離れても認識の限界である秒速30万㎞で離れていきますよね???
認識の限界が秒速30万㎞ならそれを超える事も不可能ですしね。

な〜んて考えていたんです。

で昨日、地下鉄の名古屋駅のホームを歩いていました。
少しカーブした壁際を何本もの柱が並んでいる景色。
壁と柱の細い空間に入った瞬間・・・
凄い奥行を感じたのです!(別に当たり前の事です。)

もしかしたら、この奥行のある風景も人間特有の「時間と空間」の関係から出来上がるのでは?!
と閃いたのです。

目の前の風景より100メートル先の風景は秒速30万㎞の光が100メートル分遅れてたどり着いたと認識するから奥にあるように見える。
近いから殆ど解らないような差でも、認識を創るには十分な時間差なのではないか?!と・・・
つまり、光に速度を感じる人間独特の空間の中に僕らは住んでいる、もしくはそれこそが人間の世界ではないのか???

もしかしたら、動物は違う世界を見ているかも???
例えばあまり奥行の無い世界。
つまり、時間の観念が薄い世界。

その証拠に、割と多くの動物の目は止まっている物や前後に動く物への反応が鈍いと言われます。
横に動く物に敏感だと。

奥行が時間の観念だとしたら、動物の目は「今」を生きるのに向いた構造ですよね。
今を生きている証拠としては、
猫は背後からボールを投げても、振り向いて「誰が投げたか?」確認なんてせずにボールを追いかけます。
彼らの世界には因果律はないという事です。

だとすれば時間と空間の観念は、かなり人間の主観的なものと言えますね。
人間にだけ特有の「時間と空間」
その絶対性を否定して、光に絶対性を与えたアインシュタインは、もしかしたら人間と違う世界を見ていたのではないかと思わずにはいられません。

だれか、光速という考えを変えて計算できる人いませんか???
光には速度はなく、そこに既に在るものとして・・・
つまり光の速度は「無」か「無限大」で。

もし、認識出来る速度が違う生き物がいたら、世界は全く違って見えるかもしれませんよね?
光は「波」の性質と「粒子」の性質がある、なんてまどろっこしい考えではなくて、
「そこにべったりと在る」もの。
「全てに存在する」もの。

としてみるなんてどうでしょうか???

あ〜あ・・・
今回のブログは完全に覚書です。
纏まってません。
メッセージ性も皆無です。

しかし、書きたかった。
何故なら、「今」に意識を置く方法に少し近づいたようで、非常に幸せな瞬間を味わえたから・・・


今日はただそれだけです。

では、さようなら。

また、会いましょう。
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by uz-ni-chan | 2013-11-26 16:01

ヨガと思えばヨガ?!

こんにちは。
お久しぶりです。
1ヶ月連続更新チャレンジ最終回から10日経ちました。
あっという間の10日でしたが、また少しづつブログを更新したいと思います。

今日は、よく聞くセリフ「ヨガと思えばヨガ」について考えてみたいと思います。

ヨガって何でしょうね?
このブログで度々問いかけている事です。

「ヨガのポーズがヨガではない!」
事は度々お伝えしているので、みなさんご理解いただいていると思います。
(今回初めてこのブログを見る方は、過去にさかのぼってご覧下さい。)
ストレッチとヨガには、全く同じポーズ(姿勢)があります。
では、その二つをヨガとストレッチに分けているのは何なんでしょうか???
そこで、よく聞く言葉が前出の、
「ヨガと思えば・・・」
です。
しかし、この理屈は、
実際は暑いのに、「暑くないと思えば涼しい」とか、
実際はまずいのに、「美味しいと思えば美味しい」みたいに強引な理屈ですね。(^^;;;
茶色い床をみて、「緑だと思えば緑!!!」みたいな感じ?

以前、この場で、
「ヨガがヨガであるためには、背景に哲学が必要!」
と書きました。
つまり、ヨガをヨガにするためには哲学が必要だと思うのです。
では、哲学とはなんでしょうか???

ヨガ哲学と言うと直ぐに、
「二元論」だ、「一元論」だ、
「サーンキヤ哲学」やら「ヴェーダンタ哲学」だの、
を想像する人もいるし、なんのこっちゃ???の人もいるでしょう。

哲学と言うのは決して、「二元」「一元」を論争したり、「学派」の派閥争いをするものではありません。
ヨガにしても、時代や創始者によってバックにある哲学に違いがあります。
ヨガを学ぶ者として、ある程度(できれば詳しく)バックにある哲学を知っておくのは必要でしょう。
しかし、自分が実践するにあたっては、その哲学を暗記したり人に押し付けるのではなく、
自分の哲学を深めるキッカケに留めてほしいのです。

哲学とは、
「自分とは?」「命とは?」「この世界とは?」「世界の始まりは?」
などを「問う」学問です。
この「問い」は「神様はいるのか?」などの問いと同じくらい「答え」出すのは不可能と言えます。
つまり、哲学は「答え」を教わる学問ではなく、「問い」を立てる方法を習得する学問なんです。
そして、その問いに答えるのは自分なんです。
哲学史学者や哲学学者と哲学実践者は分けて考える必要があるのです。

ヨガも同じです。
健康で美しくなる方法、楽に幸せに生きる方法、を教わるのではなく、
毎日、当たり前に過ごしている生活に「問い」かける取り組みなのです。

学校で教えてもらう事に慣れている私たちは、すぐに「答え」を求めがちです。
場合によっては「答え」が出ないと不安になったり、イライラしたり、もしくは投げ出したり。。。
しかし、哲学(ヨガ)は「答え」なんて出ない遠大な「問い」かけを続けていく練習なんです。

そんな大きな「問い」かけを求めるうちに、小さな答えがどんどん見つかる。
そうして、今のテクノロジーの発展につながったのではないでしょうか???

情報が氾濫する世の中です。
何でもかんでも鵜呑みにして振り回されるのではなく、
まず、よく吟味し、問いかけ、そして自分の答えを出すのです。

「肉を食べたほうが良い!」
「肉を食べたらいかん!」
こんな情報にも両方に理屈があります。
答えなんてありません。
解らない答えを放り出して、流行りに流されたり、諦めるのではなく、
自分の答えを出して、安定を見つけるのです。
安易に人の意見や答えに便乗するのではなく、自ら「問いかけ答える」のが自立した大人です。
最終的には自分の出した答えを信じるのです。
これこそは「信仰」だと思います。
信じる事でしか近づけない領域があるのです。

いつもレッスンで言う様に、ヨガでは普段求められる反対の事を要求されます。
「ゆっくりやること」
「判断、評価をしないこと」
「答えるより問いかけること」
「結果を気にせずプロセスを楽しむこと」
「効率を求めないこと」

「早く効率よく、良い判断をし結果を出すこと!」
という世の中に生きていて、上記の取り組みは時に難しいものです。
しかし、「逆もまた真なり。」という言葉通り、
上記とりくみが、効率を上げたり良い結果を出すヒントを与えてくれたりします。

是非、今の自分の価値観や行動に「問い」かけてみてください。
違う形で答えが見つかるかもしれませんよ!
その答えを聞き逃さない様に気を付けて下さいね。

哲学の取り組みととヨガには共通点が沢山あります。
なぜなら、ヨガの背景に哲学があるからです。
哲学なき、又は「問い」かけ無き、ヨガポーズはただの体操と言えるでしょう。

「答えを見つけようと焦るより、問いかける事、問いかけ続ける事を大切に・・・」

ヨガを見失いつつある全てのヨギーに贈りたいUZからの一言です。


「ヨガと思えばヨガ」ではなくて、
「ヨガにすればヨガ」なんですね。(^^)v

最後に、皆様に問いかけ・・・

「シェアー」という言葉をよく聞くようになりました。
Facebookでもシェアーボタンがあります。
人の言葉や内容を安易にシェアー出来ます。
しかし、その行為は場合によってはとても危険に思うのです。

ある人の言葉を「右から左に」流したように見えて、そこには流した人のラベルが張り付きます。
つまり、「賛成者」となるのです。
コメントのない「賛成者」はその人の全てに賛成、もしくはその人の意見をあたかも自分の意見としたような錯覚を生みます。
元の発信者の所属や職業、バックにつく力関係などなど・・・
その全てを賛成し「後押し」したようになるのです。
このような、気軽な「賛成」が暴走すると・・・・・・・・・
歴史的な悲劇がいくつも思い浮かびますね???

「シェアー」する時、このブログを少し思い出してください。
そして、出来るだけ「自分のコメント」を添えてみて下さい。
これで、やっと暴走ではなく、自分の意見として正々堂々と歩き出せるのです。

安易な「シェアー」に
気軽で善良な大衆の怖さ・・・
を感じるのは僕だけでしょうか???

でも、これは問いかけているだけで、「シェアー」するな!って言ってるわけではありませんよ。
何でも「問い」かけるのです。
それが、哲学の始まりですから。。。

では、また近々。

次は「光」続編にしたい・・・
と思ってます。(^^)
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by uz-ni-chan | 2013-11-23 15:28

ブログ1ヶ月毎日更新チャレンジ最終回(^^)v

みなさん、こんにちは。
今日は真冬並みの冷え込みですね。
体調管理に気を付けて下さいね。

やっとゴールにたどり着きました。
最終回。
1ヶ月、濃いぃ内容で続けると宣言したので、結構な労働でした。
1ヶ月続けました。
「毎日大変ですね。。。」
といろんな方々から励ましをいただきました。
確かに、大変でした、が、楽しくもありました。

1ヶ月前と何か変わったか???
季節が変わりました。
冷房から暖房の季節へと。
UZ本人は???
何も変わってません。(^^;
なんせ、いつも考えている事を文章にしただけなので・・・

UZの本質は変わらなくても、沢山の変化がありました。
何かをすると、必ずや何かが変わります。
生きているだけ、呼吸をするだけでもそうですね。
貴方の存在が既に周りに影響を及ぼしているのです。
そこに「善悪」はありません。
受け取る方に「善悪の判断」があるのです。

でも、だからと言って「相手を傷つけるような事」を気にせず言ったり書いたりして良いと言っているのではありません。
受け取る側は否が応でも意識的になります。
(匂いに例えると解り易いかもしれませんね。)
発信する側はそれを考慮して「意識的」に発言する事が必要だと思っています。

今回のブログの目的は読みやすさではなく、「UZの意見を毎日掘り下げて書き綴る事」でした。
その為、ある種類の人々にとっては辛辣に感じるだろうと思われる文章もいくつか書きました。
でも、それは意識的です。
皆に耳心地よい文章を書くことよりも、UZの意見を書くことを優先しました。
UZの世界を皆様の意識の中に創りたかったからです。(自己中(^^;)
実は突っ込みどころ満載です。
「その理屈はないだろ!」と自分自身に突っ込みを入れながら書いている時もあったくらいです。(^_-)-☆

UZは普段から、皆が心地よい意見を言う必要は無いと思っています。
そんな善人ぶった世界は気持ちが悪いとすら思います。
必要だと思うことは、自分の直観や理性を信じて発言するべきだと思っています。
それが、自分の人生を生きる事だと思うからです。
もちろん、無意味に人を傷つける事が無いように、最大限の注意は必要だと思いますし、
発言に対する責任はついてまわりますが。

この1ヶ月に渡って綴ってきた内容は・・・
「目的を見失わないでほしい。」
「意識的であってほしい。」
「狭い世界での善悪・正誤の判断から解放されてほしい。」
それはつまり、
「自分の世界観を持ってほしい。」
という事でした。

そして、UZ自身としては、
「他人の世界を認め尊重し合う事。」
「時に敬意を持って、意見を戦わせる事。」
「更に、自分の世界観を広げる努力を惜しまない事。」
を再確認する旅となりました。

今日初めにも書いた様に、出発したときと今ではUZは何も変わってません。
でも、満足感、充実感はたっぷりです。

気ままな一人旅のように、
各地で知り合った人とお喋りしました。(初めてコメント、メッセージを頂いた皆様有難うございます。)
知り合いを訪ねて語り合いました。(久々にコメント頂いた方、うれしかったです。)
旅の道連れになってくれた方々もいました。(度々コメント頂いた方々本当にありがとうございました。)
行先を決めず気ままに心の赴くままに放浪しました。

自分自身でも驚くような意外な所に向かってみたり、
少し迷子になったり、(わざとね。(^_-)-☆)
本当に楽しい1ヶ月の旅でした。

そして、いろんな世界を旅してゴールにたどり着いた今、やっぱり思うのです。
「幸せは、そして正解は自分の中にある。」
と・・・

1ヶ月、UZの気ままな一人旅におつきあい頂いた皆様、本当にありがとうございました。

またお会いしましょうね。

名残惜しくなってきてしつこくなるといけないので、今日はこれくらいにしておきます。

明日からはどうしよっかな。。。
終わるとなると寂しいもんですね。(^_-)-☆

では、また逢う日まで・・・

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by uz-ni-chan | 2013-11-12 14:12 | 一ヶ月更新2013

言葉にしないと。。。

皆様、こんにちは。
冷え込んできました。
明日は真冬並みの冷え込みらしいですね。
防寒対策を万全にして下さいね。
連続更新チャレンジも今日を入れてあと2回。
つまり、明日が最終回です。
今日、明日はレッスンの合間更新という事もあり、週末に気合いれました。
が、今日も気合入れていきます。

今日のお題は「言葉」です。
以前Facebookで少しだけつぶやきましたが、それだけでなくもう少し詳しくいきたいと思います。

昨日、「光」について書きました。
昨日書いたギリシャ神話だけでなく、ユダヤやキリスト教の経典、旧約聖書の創世記にも
神の「光あれ!」の言葉で光が現れ、世界に昼が出来ました。
というような記述があります。
世界創造の早いうちに光が放たれたというのは神話も宗教も科学も同じでなんですね。

そして、今日は「言葉」。
キリスト教徒の経典、新約聖書に、「はじめに言葉があった・・・」みたいな言葉があります。
(調べました「はじめに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。」(ヨハネによる福音書)です。)
それほど言葉は神聖だと言えます。

言葉の発明って凄い事だと思いませんか???
だって、言葉が無かったら会話出来ないだけじゃないですよ!
貴方が今来ている服を「言葉を使わず」表現して下さい。
シャツの色は???「・・・」
シャツの形は???「・・・」
今日の服装を自分でどう思いますか???「・・・」
喋っちゃいけない、とかではなく言葉で表現できなかったら、「それ」はいったいなんでしょう???
「服」という概念すら無いのです。
一度、自分が見ている物を言葉ではなく「ただ見る」をしてみて下さい。
ほとんど、出来ません。
見たもの全てに「ラベル」を張るように思考が出来ているのです。
「コップ」「水が入っているコップ」「テーブルの上にある水が入ったコップ」「ダイニングのテーブルの上の水が入ったコップ」・・・
言葉の表現なく自分の状態は認識できるのでしょうか???
「お腹空いたぁ・・・」
を言葉の認識なしで感じる???
「!!!!!!!!!」
なんか、出来る様な・・・でも次の瞬間には言葉に変換されているような・・・

もし、アラビア語を書いた紙が目の前に置いてあったら???
ほとんどの日本人には、(つまりアラビア語が解らない人々には)
「どこかの国の言葉が書いてある紙」(これも言葉での認識ですが・・・)
程度の認識です。
しかし、その文字が読める人にとっては、そこに別の世界があることになります。
認識には言葉が大きな役割を果たしていると思わずにはいられません。

言葉を持たない(もしくはほとんど持たない)動物と人間がこれ程、知能の差があるのもやはり言葉によるのでしょう。

以前のブログ(「夢が現実か?」参照)で、
「貴方という存在を相手に示して、初めて相手に貴方の世界が加わる」
と書きましたが、そういう事なのです。
言葉で表し表現する事であなたの世界が他人の世界に現実として現れるのです。
そうしなければ、貴方と言う存在は「他人が勝手に想像して作った、他人の中の存在」という事になってしまいます。
大切だと思う人とは是非とも沢山会話をして下さい!

たまに見かける光景・・・
電車に年配の方が乗ってきます。
すると、突然黙って席を立ち、去って行く若者。。。
優しさなのか?怒っているのか?譲ったのか?
何だかわからないです。
譲られた?方も戸惑ってそのまま、空席のまま・・・なんて事もありますよね。
きっとシャイな若者の優しさだと思います。
でも、その行為は言葉にされなかったが為に、宙に浮いたまま理解不能になり漂っています・・・
「良かったらここに座りませんか???」
と言えばいいだけ。
「シャイ」だから・・・で許されるのは小学生まででしょう・・・
UZも昔そうだったから解るのですが、それでもあえて言えば、
シャイだという言い訳は「弱さであり、冷たさであり、狡さ」だと思います。

以前からお伝えしているように、「会話」をするようにしましょう!
声を発しましょう。
通りがかりにぶつかりそうになったり、ぶつかったら一言「すいません。」と、
できれば、アイコンタクトを取って。。。
能面で無言でぶつかって通り過ぎる姿を見ると、本当に日本人は優しいのか?礼儀正しいのか??
外国人や外国に対して、外面がいいだけじゃないのか???と思わざるをえません。

気持ちを咄嗟に言葉にするのは普段からの練習が欠かせません。
自分の身体を見つめつつ、声を掛け、声を聴くヨガの練習はもってこいだと思います。
自分となら恥ずかしくなく会話できるのでは???
自分とだから話さなくても解るなんて勝手に決めつけないで下さい。
相手(自分?)に話しやすい状況を作りつつ(笑顔ね(^_-)-☆)アーサナしてみてくださいね。

「言葉は神であった。」
言葉は世界を創ると思います。
言葉には気持ちを込めて、丁寧に言葉を選んで話すように心掛けたいですね。

最後に・・・
ネコの世界。
そこに見えるのは?「ニャー」
今聞こえたのは?「ニャー」
お腹が減ったら?「ニャー」(我が家のネコは「ごはーん!」と言います。聞こえます。(^^;)
「ニャーニャーニャー」
平和だ・・・(=^・^=)


では、明日。明日はチャレンジ最終回です。


こんなUZに会いたい人、DeepGroundingを体験したい人は 「ヨガハート2013」遊びに来てね! 詳しくは「こちら」













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by uz-ni-chan | 2013-11-11 16:30 | 一ヶ月更新2013

絶対者

皆様こんにちは。
雨があがって冷え込んできましたね。
風邪をひかない様に気を付けてく下さいね。
連続更新も今回をいれてあと3回。
腰を据えて書けるのは今日が最後。
というわけで、昨日、今日とUZの世界観総まとめな感じです。

このブログはUZ個人の世界観です。
決して個人や団体を攻撃する意味はありません。
もし不快な思いを抱いた方がいれば申し訳ありません。
しかし、何かを書いたり、意見を言うと誰かを傷つける可能性が出てきます。
だからと言って、本音を言わずに黙っているのは、時に責任逃れだったり、優しさではないと思います。
今回のチャレンジは訴える事に重きを置いているのではなく、
書き続ける事により、UZという身体を通って、どんな言葉が溢れ出てくるかを試したかったとも言えます。
自分のみの日記にしても良かったのですが、皆様に宣言する事によりモチベーションを保つつもりでもありました。
そんな、自己中なチャレンジにおつきあい頂いている皆様、本当に有難うございます。
あと3回、よろしくお願いします。


本日のお題は「絶対者」です。
はじまります。。。

「絶対者」
調べてみました。
〔哲〕 絶対的な存在。神・宇宙・存在の本体など、他の相対的な存在を根拠づける最高の存在。

ふむふむ。。。
ヨガでと言うか、インドの思想で絶対者と言うとたぶん「ブラフマン」でしょう。
その人格神が「ブラフマー」(「神話の世界」参照)
アートマン(真我)ブラフマン(梵天)が一つになる。
梵我一如の境地が「ヨガ」と言われます。
自分と絶対者との融合。
本当の自分は絶対者と同じだ!と気付くこと、悟る事。
我と梵を繋ぐ事。
言葉にすると簡単なような意味が解らないような・・・
これを「ブラフマニズム」なんていいます。
古代インド、ヴェーダの宗教です。
ブラフマーが訛るとバラモンになります。
その「ブラフマニズム」を「バラモン教」なんて言い方する場合もあります。
インドのカーストの頂点「バラモン」
神と人間の仲介役のような存在でしょうか???
このブラフマニズム全盛の時代は多神教のインドと言えども割と一神教的な感じだったと想像できますね。???

ブラフマーは宇宙そのものの表現、もしくは宇宙原理・法則の表現に近い感じですが、
初めの「絶対者」の説明どおり、神・宇宙・存在の本体と言うのであれば、
宇宙の「創造主である神」も同じ様な存在に見えてきます。
「産まず、生まれず、姿なく、性別なく、目無くして全てを見、耳無くして全てを聞き、口無くして語る・・・」
この文章が合ってるかどうかは解りませんがたしか、一神教の神はこんな感じでしたよね?
(因みに、ユダヤ、キリスト、イスラムの「神」は同じ神です。神は「姿なく」なので一神教は基本的には偶像崇拝禁止ですし神を絵や彫刻などに表す事も禁止です。キリスト教はちょっと別・・・)

が、宗教に疎い日本人の僕らはみんな同じに見えてきます。
どころか、「そんなもん無いでしょ????」って人が多いのではないでしょうか?
UZもそう思っていました。
以前にも書いたように、論理的に説明が出来ないものは無いというか、有ると信じれないのです。
体験した事以外は信じれない。
非常に頑なな人間でした。
絶対的にそうでした。
頑固でした。(未だに頑固ですが・・・(^^;)
宗教なんて毛嫌いです。
話を聞くのも、関連するものを読むのも大嫌いでした。
でも、そんなUZが「光」を知った時にその絶対的な考えが揺らいだのです。
(正直に告白するなら、未だに揺らいだだけなんですが・・・が知る努力は沢山しました。)

「光」
神や宇宙原理などを「光」と表現する事は多いですね。
「光り輝く世界」「内なる光」などの表現を見てもそれが伺えます。
僕らの世界の光の源である太陽や火の信仰もその表れかもしれませんね。
何故「光」が神や宇宙原理・存在の本体、と同一視されるのでしょう・・・

「科学的な根拠」という言葉も以前のUZは大好きでした。(最近はそうでもないです。)
そんな性格もあり、読書が出来るようになった(「今の自分」参照)事もあり、
小説、神話、科学的な本・・・何から何まで読み漁った時期があります。
その時、「光」に出会ったのです。(「絶対的なもの」参照)

それまでは、「世の中は相対的に決まる。」
「相手があって自分が決まる。」
それが当たり前でなんの疑問もありませんでした。(もちろん、未だに僕らの住む地球はそうですよね。)
しかし、「光」は絶対なんです。
知ってましたか???
以前も書きましたが、物理をちゃんと勉強した人は、
「何を今更」
と思うか、
「そんな大袈裟に考えなくてもいいじゃん!!!」
と思うでしょう。
実際そうなんでしょうね。
でも、絶対「無い」と思っていた事が、身近にある物に「有る」と知った時のショック!?
(たぶんUZは大袈裟なんです。)

皆さん、自分が時速50㎞で走る車に乗っていて、隣を時速80㎞の車が抜かしたら・・・
時速30kmで遠ざかっていきますよね???
当たり前ですよね???
時速50km同志ですれ違えば、時速100kmに感じますよね???
自分は止まっていても、隣の車が動き出したら自分がバックしているように見える時ありますよね???
普通ですよね???
相手によって自分の感覚が決まる「相対的」な世界にいるんだから。

なのに、この「光」は・・・

因みに、光のスピードは約秒速30万㎞だそうです。
よく一秒で地球7周半と言われますね。
この光の横をどんなに早く追いかけても秒速30万㎞で遠ざかるというのです。
この地球上の常識(UZの常識なだけだったのかも?)なら、
光の横を時速100㎞で追いかけたら普通、
「秒速30万㎞-時速100㎞」になりませんか???
皆様もそう思いますよね???ね?ね?
しかし、そうならないんです!?
なんたって「光」は絶対だから。
いつも目にしている光は、この世の法則の外にいるんですよ!
驚きじゃないですか???

そして、その光のスピードは宇宙最速だそうです。(絶対者に相応しい・・・)
昨日も登場して頂いた「アインシュタインの相対性理論」では、この「光」を絶対基準にしているのです。
この「相対性理論」で言うと、僕らの常識では絶対だと思っている、「時間」や「空間」の観念も違うのです。

時間って一定だと思いますよね???
誰にとっても1分は1分。
気分の問題で変わる事はあっても、平等に1分ですよね?
でも、光の速度に近づくと時間の進みは「遅く」なるそうです。
更に、光の速度に近づくと進行方向に対して、空間は短くなるそうです。
(光速近くで走ると車の全長が短くなる、短く見える。事故で潰れるわけではないです。)
更に更に、光速に近づけば近づくほど重量が重くなるんだそうです。

普通の世界では、「時間」も「大きさ」も「重さ」も基本的には変わらないはず。
しかし、絶対者「光」を基準にするとそのどれもが光の前に姿を変えるのです。
「絶対者」の意味・・・「他の相対的な存在を根拠づける最高の存在」を思い起こさせます。

そして、重力が大きい物の傍では、時間と空間を合わせた「時空」が歪むと言います。
その歪んだ時空を光が通過するとき光も曲がるそうです。(ここでちょっと光の存在に弱点???(^_-)-☆)
重力が非常に強いと光は真っ直ぐに進めず、外に向かう事が出来なくなります。
すると光を発しない天体、「ブラックホール」の出来上がり。
母である「闇」にはさすがの「絶対者」も敵わない???って事でしょうか?(「世界の始まり」参照)

何にせよ、この宇宙で「光」だけは「絶対」なのです。

この事実を知った時、世の中の見方を変えようと決意しました。
今までは「根拠がない」「見た事ない」「あり得ない」と一蹴していた事柄も興味を持って見ようと・・・
(それから、宗教についても興味を持ちました。物理から宗教・・・(^^;)

かと言って、先ほどの話は「光のスピード」に近い世界の話です。
今、住んでいる地球上では体験する事の無い世界。
知ったからといって、突然UZが光のような振る舞いが出来るわけでもありません。

でも、この「光の実体」を知ったことで「大いなるもの」への敬意の気持ちが生まれたのは間違いありません。
もし、この光を知らずに「ヨガ」の世界へと足を踏み入れていたら、
きっと「胡散臭い世界」で終わっていたと思うのです。
そう思うと、これも導きだったのかもしれませんね。
やはり、人生は「書かれている」のでしょうか???

「神」「宇宙」「存在の本体」「創造主」「魂」「梵天」
神がどう姿を現すか。
「神は創造主であって被造物とは違う。」
と考えるのもあり。
「神は完璧なんだから、神が作ったこの世も完璧であり神の現れ。」
と考えるのもあり。
「神は姿が無いんだから、表現してはいけない。」
とするのもあり。
「いろんな姿形で、僕らの前に現れる神を姿形を想像して表す。」
のもあり。
極端に言うなら、
「神なんていない」
だってあり。
無神論や唯物論、拝金主義だって、神が完璧ならば神が作った被造物の結果のはず。

元をたどれば、全ての大元となる「何かを」目指す方法が違うだけなのだから・・・
結局のところ僕らは、人類共通の目的である「幸せになりたい」を、叶えてくれる女神の愛を目指しているだけだと思うから。。。

今日は以前からお伝えしていた絶対者という「光」の話でした。。。
「光」の話と聞いて、
「瞑想の時に太陽の何千倍とも思える光を見た!」
とか、そんな話だと思いましたか???
正直、そんな経験したことも無い・・・
ポーズの練習や瞑想をすると「幸福」は味わえますが・・・(^_-)-☆

ではでは、また明日。。。
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by uz-ni-chan | 2013-11-10 19:00 | 一ヶ月更新2013

世界の始まり。。。

みなさまこんにちは。
連続更新チャレンジもあと4日。
この週末は気合入れます。
今まで、いろいろな事を気ままに?!書き綴ってきましたが、結局言いたいのは、
セルフアイデンティティを持ってほしいという事に尽きます。
誰かが言っていたからそうだ・・・
とか、
ある、国家、宗教、部族、流派に所属しているから、こうだ・・・
ではなく、自分はどうなのか?!を考えてほしいのです。
別にある宗教に所属していてもいいのです。
その中で自分はどう思うか。
別に、人の意見に追従してもいいんです。
でも、なぜその意見に賛同なのか・・・
そこをはっきりさせていないと、無責任な暴力に変貌する可能性があるのです。

セルフアイデンティティ・・・
自分が何に根ざしているか?
自分の国や民族の歴史を知る、人類の歴史を知る、すると自分は今の時代をただ生きているのではなく、
過去の歴史の上に立っている事に気付けるのです。
そこに、過去の歴史や思想に偏り過ぎない自分史を築き上げる事が今の時代には必要だと思うのです。
過去に繰り返された、宗教戦争や思想・民族的差別・史実からの恨み復讐など、、、こんな事を繰り返さない為に、今の時代は宗教・国境・民族を超えた「セルフ」の思想に共存・尊重が大切になるのではないでしょうか?

今日はUZの世界観をお話しします。
UZの人生経験によって作られたファンタジーだと思い、興味のある人はお付き合い下さい。
では、はじまりはじまりぃ・・・

世界は女性(性)が作った???
古代の神話や宗教には数多くの女性神(女神)や女性性への信仰が存在します。
「大母神」「大地の女神」「豊穣の女神」「聖母」への信仰です。

多くの神話が示す世界のはじめは「混沌」「カオス」などと言われる、無?もしくはゴチャゴチャ状態を表しています。
(実は科学も同じ見解で、真空の揺らぎのような状態と言われます。)
UZの好きなギリシャ神話ではそこから「ガイア」と言われる大地の女神が初めに生まれます。
「大地から生まれる。」
植物や農作物、つまり生命維持に欠かせない物が大地から生まれることから始まった、大地などの自然信仰です。。
ギリシャ神話では先に「闇」「夜」が生まれそこから「光」や「昼」が生まれます。
やはり女性が「産む」からでしょう。
「-」「凹」から「+」「凸」が生まれるのです。
つまり、世界は女性が「産んだ」のです。
時代が下って、一神教や男性中心社会になるまでは、女性が産んだ世界観が世界各地で優勢だったのではないでしょうか???
ギリシャ神話の中にもそんな時代の流れを感じます。
ギリシャ神話で中心になるのは「オリュンポス」の神々です。

元々はカオスからガイアが生まれ・・・
「ガイアに天空ウラノスが覆いかぶさり・・・」
子供たちが生まれるのです。
そこでやっと人格化された神々「ティタン神族」が生まれます。
この「ティタン神族」を倒した神々が君臨する世の中、「オリュンポスの山に住む神々の物語」がギリシャ神話の中心です。
オリュンポスの神々の中心は「ゼウス」だと前にもお話しましたね。男性神です。詳しくは「神話の世界」参照。

初めはガイアから始まったギリシャ神話も、この時代にはすでに男性中心の時代だったのでしょうね。
でも、世界は女性から生まれたと言うのがUZの意見です。

世界の始まりは宇宙の始まりとも言えます。
その謎は神話に語られていますが、今をもって謎とされています。
しかし、近年はかなりいろんな事が解ってきているようです。

以前のブログにも少しづつ登場している、「光」の存在。
その「光」の絶対性を元に考え出された、アインシュタインの「相対性理論」。
(絶対という基準があるから相対性が現れます。)「全て正解」参照。
その相対性理論の方程式から宇宙の始まりを算出する努力を重ね、現代では始まった直後のプロセスはかなり説明できるようです。
(絶対が本当の絶対ならその他の解明の絶対基準になるはずですよね?)
「ビッグバン」って聞いたことありますか???
宇宙の始まりの爆発の様な状態です。
非常に小さな小さな点(混沌?!)からインフレーションという急拡大が起こり、爆発します。
その爆発(ビッグバン)が宇宙の始まりという理論です。
その爆発から今現在も僕らの住んでいる宇宙はどんどんと凄いスピードで広がっているそうです。
(信じられませんし、実感がないですが、これは確実だそうです。)
しかし、「無」から「有」が生まれるという事はあり得ない。
相対性理論を持ってして計算しても、どうしても「特異点」という一点「エネルギーが無限大」の点に収束してしまうという問題があったそうです。
無限大は物理的にあり得ない。無と同じようにあり得ない事だそうです。
つまり、始まる瞬間は解らないけど、始まった直後からは計算可能と言う状態がしばらく続いたらしいのです。
しかし広大な宇宙の計算も小さな小さな一点に集約されるという事で「量子理論」(ミクロ世界の理論)の登場です。
結局宇宙のような広大な世界も、ミクロの世界から始まったと考えれば、理論の繋がりが出来るのですね。
2元が1元になる瞬間でしょうか???
そんな計算上の問題の解決に活躍したのは「量子理論」、そして「虚数」だそうです。
虚数というのは、同じ数字を掛け合わせてマイナスになる数字。
√-1みたいな数字で、これも現実的にはあり得ない数字だそうです。
この虚数は「imaginary number」と呼ばれ通常「i」と表すそうです。
(数学は詳しくないので物語として読んでください。)
つまり、
1×1=1
-1×-1=1
ですよね。
同じ数字を掛け合わせると必ず正数になるのです。
つまり「虚数」はイメージの数字という事です。
(現在ではイメージではなく、「有る」という意見もあるそうです。昔むかしには、負の数もゼロも想像でしかなかったというのだから、人間がイメージ出来ることは有るのでしょうね。)
この「虚数の時間」と言うのを当てはめると「特異点」というあり得ない一点ではなく、始まる世界が計算可能になると言うのです。
掛け合わせても「-」「凹」。
女性性の中の女性性、本物の女性性「女神」を感じたのは僕だけでしょうか???
やはり女性性から世界が始まったと、物理の計算も示している!!!!!!!!!!!!!!!!!
そして、虚数を表す「i」をみて、さらにドキッしたのです。

ここからは、言葉の遊びです。
この世界観はUZのファンタジー、フィクションだと思って読み進んで下さい。

「シヴァ神はシャクティがなければ、ただの屍体」

という言葉が、タントラの世界ではあるそうです。
これはどういう意味でしょうか???

シヴァ神は言わずと知れた「インドの最高神」「ヨガの創始者」です。
そのシヴァという文字とシャヴァ(死体の意味「シャバアーサナ」参照)という文字での違いはデーヴァナーガリー文字(サンスクリット語やヒンディー語で使われる文字)で「i」が有るか無いかの違いだそうです。
で、その「i」はシャクティを表す文字、シャクティつまり「女神・女性Energy」の事です。
つまり、「シヴァ神から女神を取ったらただの死体だ!」という意味なのです。
シヴァと言えども女神との繋がり(結合・繋がり・ヨガ「ヨガは繋ぐという意味で」参照)があって初めて神になるという事なんですね。

虚数の「i」を見てドキッとしたのはこういう事なんです。
意味は違えど、世界の始まりには「i」女性性が大きな役割を果たしているんです。

虚数の時間という存在により宇宙の始まりの予想は出来ました。
その宇宙は「母宇宙」(ここも女性)が存在し、インフレーション(妊娠?!)が起こると「子供宇宙」を身ごもるそうです。
そのインフレーション中は母と子は「ワームホール」というトンネル(へその緒?)で繋がっているそうです。
ビッグバン(出産)が起こり「母宇宙」と「子宇宙」は切り離されるそうです。
宇宙の営みを、人間の営みが表しているようですね。


という事は???
僕らの住んでる宇宙を生んだ「母」がいる事になります。
その母の母は???

結局、本当の始まりは解らずじまい。
母性に代表される、理屈ではない「愛」。
これが宇宙の始まりなのでしょうか???
理屈には及ばない世界?!

やはりこの世の背後にはなにか大きな「力」「意思」が宿っていると思わずにはいられません。
女神の「愛」という大きな意思が。。。

今日は、女神信仰のUZのお話でした。
明日はその対になる「絶対者」のお話・・・
お楽しみに!!!

では、明日。

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by uz-ni-chan | 2013-11-09 16:13 | 一ヶ月更新2013

夢が現実か?

おはようございます。
段々と一ヶ月連続更新達成が近づいてきました。
さすがに内容が複雑になり、時間もかかっています。
なので今日は朝から更新です。(^_−)−☆

今日のお題は昨日の続きとも言える内容です。
皆様、夢を見ますか?
時々、とてもリアルな夢を見ませんか?
UZは小学生の頃、犬を拾って帰った夢を見て、
朝起きた時に夢で隠した記憶のある押入れを開けて確認したことがあります。^_^;
夢を現実と間違えたって事ですね。

では今、皆さんが生きている世界は本当に現実なんでしょうか???
もしかしたら、リアルな夢かもしれませんよ?
そんな事考えた事ありませんか?
感覚のいい加減さは昨日も触れましたが、
自分の存在も感覚によるなら自分の存在すら当てになりませんね。

「私は考える、だから私は存在する。」はデカルトでしたっけ?(記憶が曖昧なので後で調べよう…)
「私という存在に思いを馳せる私が居るって事は、私は存在していると言える。」
という論理(ロジック)です。
全然ニュアンスは違うかもしれませんが、
「私は私の住む世界を感じる、だから世界は存在する。」
なのかもしれませんね。

昔、UZはモトクロスレースをしていました。
練習に行くと、全日本トップクラスのライダーと一緒になる時がありました。
レースをはたから見るのと違い、一緒に走るとそのケタ違いの凄さを肌で感じます。
カーブに差し掛かる、減速しながらシフトダウン、
轍にうまくフロントタイヤを突っ込み加速しながら通過します。
しかし、その時前を走っていたトップライダーは全く減速せず、
真っ直ぐ進み壁のようになっているコース外側の土手(バンクといいます)をまるで直線の様に走り抜けました。
想像もしていなかったライン。
真似してみたら…
いいじゃん!!!
その時思いました。
「見えてる世界が違う…」と。
UZは固定観念に縛られて走っていたと言えます。
逆に、人間は自分が持つ能力によって世界の見え方まで変わるとも言えますね。
能力は仕方が無い。けど、自らの能力の過小評価と固定観念に縛られるのは避けたいなぁ…
と思ったものです。
だって、真似したら出来たんだから。

もし、この人生が夢だとしても、自分が感じる事に間違えはありません。
人間は自分の感覚の中でしか生きられないのですから。
ならば、だからこそ小さな世界に安住しないようにしなければ…
と思うのです。

そして、他人の世界とは違うんだと認識し、感覚的な自分の世界観を表現出来ることが、
本当の意味で「感覚的人間」だと思うのです。

自分の世界観を表現する。
絵画でも歌でも詩でも…(芸術家向け?)
数式でも論文でも…(学者向け?)
仕事でも態度でも言葉でも…(一般向け?)

夢(自分の世界観)を現実に表すと芸術(アート)になりますね。
是非自分の世界観を表現するようにしてみて下さい。

何故こんな話しをするかと言うと、
あちこちでレッスンをして、いろいろな方にお会いすると感じるのです。
日本人の会話(コミュニケーション)の少なさを。
前々から思っていたのですが、日本人は仲良しの人とおしゃべりは得意だけど、
会話が苦手な人が多いと…
表情を含め、自己表現が苦手な人が多いと…
たまに、外国人がレッスンに来ますが、
表情とアイコンタクトで通じ合えると思うことがよくあります。
ところが、接していて思う日本人特有な態度としては、
「何を考えてるのか解らない」
なんです。
日本に住んだことしかないUZですら思うのです。
怒ってるのか?と思うほど無愛想にレッスンを受けてた方が、
「気持ち良かったです。」とか「楽しかった」って帰る姿を見ると
言葉は嬉しいけど複雑な気分です。
表現しないと伝わらないのです。
伝わらないだけならいいけど、違う伝わり方するのは貴方にとって非常に損だと思います。
この方々は帰りに会話したから伝わりましたが…
本当に怒っていて、怒った顔しているならOKなんです。
シャイだといって諦めず、態度(特に表情)と言葉で表現してみて下さい。

貴方という存在を相手に示して、初めて相手に貴方の世界が加わるのだと思うからです。

日本人を元気にしたい。
だからこそ、日本人が苦手とする、表現することと会話することを是非練習して欲しいのです。
ヨガで出来ます。
楽しいなら、笑顔でのびのびアーサナで表現して下さい。
苦しいなら、自分だけ休んだり「うぅ…」とか言っていいんです。
そして、自分との会話を弾ませて下さい。

この世が夢だとしても、幻ではなく現実なのだから…

因みにいつもUZのレッスンに来ていただいてる方々は「耳にタコ」ですね。^_^;
でも、やはり最後は「最高のスマイル」でこのブログも終了します。(^_−)−☆

では、また明日…

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by uz-ni-chan | 2013-11-08 08:36 | 一ヶ月更新2013

感覚的?!理性的?!

こんにちは。
今日は午後から晴れると思っていたらパラパラと雨。
予報通りいかないのが自然ですね。(^_-)-☆
さて、今日も早速はじめます。

UZは自分で非常に「神秘主義」だと思っています。
しかし、そう思ってない人は多いのではないでしょうか?
「理屈っぽい」、「現実的」、このブログでもそんな印象かもしれませんね。
では、何故UZは「神秘主義者」なのか「論理的」に説明してみます。(^^;
(連続更新もほとんど、趣味の域に突入・・・)

「私は感覚的な人間なんで・・・」
とか、
「貴方は理性的(論理的・理論的)ね。」
なんてセリフをよく聞きますね。
そのどちらも、褒め言葉の時も皮肉の時もあります。

文系・理系なんて分け方も似ている様な・・・(違うと思うけど。)
右脳型・左脳型とか???

今日のテーマの「感覚と理性」も哲学の大きなテーマです。
「変わりゆくもの・相対的・物質的・感覚的」
「変わらない物・絶対的・精神的・理性的」
なんとなく似ている括りをしてみました。

感覚って何でしょうね。
視覚・嗅覚・聴覚・味覚・触覚
これらの感覚器官が物体や現象を捉えるさま。。。
でしょうか?
人間は自分が感じた世界がその人の世界と言えます。

ある人物の写真を見せて、その人物について二人に語ってもらいました。
絶対同じ答えは返ってきません。
過去の記憶や経験からどうしても推測が加わってしまうからです。
ある人には「感じの良さそうな人」でも、
違う人からは「調子の良さそうな人」だったり。
同じ人物でも。

今、二人並んで同じ景色を見たとします。
お互いに表現してもらいました。
すると、ある程度同じ答えは返ってくるかもしれませんが、
ほぼ間違いなく「違う」答えになりますよね。
「大きな庭がある。」
「小さな家が建っている。」
ある人にとっては
「広大な庭に大きな家・・・」
に見えるかも???

感覚の世界は信頼できないという事でしょうか???
たぶん殆どあてにならないとUZは思っています。

感覚があてにならない例はいくつもあります。
例えば買い物に行きます。
何も買わずに帰ってきました。
「あれ?手ぶら???」
と聞かれて、
「うん、何にも無いんだもん。。。」
!?!?!?
そんな訳はないですね。(^^;
買いたいものは無かったかもしれないけれど、物は沢山あったはず。
人間自分に必要のない物は認知しなかったりします。
そうやって感覚が捉えた情報を選別し判断しながら生きているのです。

なので、人によって捉え方がまちまち。
今の世の中を
素敵な世界・・・と思う人。
酷い世界・・・と思う人。

そんなまちまちな世界で生きていたら、仕事は出来ないので、
その感覚的な事をお互い同じように理解できるように、数値化したりするのです。
科学や数学の始まりです。
「一辺が何メートルの庭に、どのくらいの大きさの家」
こう言われると、とても理性的に聞こえます。
でも、その数字を聞いて「広い」と思うか「狭い」と思うかはまた感覚なので、また個人差は生まれますが・・・
ただ、共通の理解が得られる事は確かです。

測ったりして表す事が出来る世界を物質世界といいます。
ん???
物質は「変わりゆく物」ものだから感覚世界に属すると言えます。
という事は、物質を測ったりすることは、感覚を理性的に捉えるという事になります。
「私は感覚的なので・・・」
と言う言葉はどちらかと言うと、
感覚的=計算とか理屈苦手=芸術的=直観的=スピリチュアル=文系=感情的・・・
みたいに世の中、使われていませんか???
でも、逆ですよね???
どっぷり物質世界に安住しているから、「感覚的」なんですよね???

感覚的、物質(マテリアル)的な世界を数値化して理性的に理解をするようにしていくとどうなるのでしょう?
「測れるものは測るべき、測れない物は測れる様にするべきだ。」と言ったのは確かガリレオ・ガリレイでしたっけ???
そうやってこの世の中を図って、観察し実験して科学は発展してきました。
なので、科学は感覚的世界を理性的に表現したと言えますよね???
感覚では地球の周りを空が回っている。
けれど、実はその反対だと証明したのは計測と観察の結果ですよね?

それに対して、理性的な世界とはどんな世界でしょうか???
もし、感覚的世界=物質的と言えるなら、
理性的な世界=精神的・観念的・測れない世界・目に見えない物の世界
となります。
では理性は信頼できるのでしょうか?
「机上の空論」
という言葉があります。
「事件は会議室でおきているんじゃない!!!現場で起きているんだ!!!」
みたいな感じ???(すごい感覚的な説明ですいません。(^^;)
いくら計算上成り立っても、世の中はそうはいかないよ!って事ですよね?
あんまり信頼できそうにない???
もしくは、実践的でない???
でも、人間の手に余る大きな世界や小さな世界は計算上または論理で理解するしかない場合もあります。
目に見えない物なら尚更ですよね???
すると、目に見えない世界(宇宙の果てやミクロの世界)を研究する人は非常にファンタジックって事になりませんか???
実験をするには仮説が要ります。理屈を展開するにも同じです。
すると非常に想像力を要します。

古代、偉大な哲学者が自然科学を始めました。
中世には、偉大な神学者が偉大な哲学者でもありました。
ルネッサンスの時代、偉大な芸術家は偉大な建築家でもありました。

非常に混乱します。
理性的・論理的なのは「唯物論者」の代表、
感覚的・芸術的なのは「観念論」や「神秘主義者」みたいに思われている気がするからです。
この雰囲気、なんか納得できない。
UZの理性が許さない。。。

UZは非常に「論理的」(ロジカル)な思考を好みます。
だからこそ、非常に「神秘的」(スピリチュアル)だと自認しているのです。

見えない世界を、観念的に捉え表現したり、見えない世界を視覚(ビジュアル)的に表したりするのは、
ヨガの得意分野です。
それを、論理的に表現することが現代ヨガに求められる事だと思います。
ヨガのいろいろをただのオカルトにするか、現代にも通用する肉体的・精神的・霊的な鍛錬(サダナ)にするかの別れ目だと思います。

理性的な理解からスピリチュアルを目指せばしっかりとグラウンディングしたスピリチュアルに成れると信じて取り組みたいとUZは思っています。

段々と複雑な話しですいません。^_^;

では、また明日。


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by uz-ni-chan | 2013-11-07 17:50 | 一ヶ月更新2013

ヨガ解剖学

こんにちは。
11月に入り、秋と言うよりは冬の気配を感じますね。
今年の冬は寒いのかなぁ・・・
寒いの嫌いなので。。。(^^;

さてさて、連続更新もあと一週間となりました。
今日のお題は、今流行り?!の「ヨガ解剖学」についてです。

解剖学についてのWSや、TTでの講義、その他いろいろをさせていただいた経験から思うことを述べさせていただきます。

ヨガにどの様に解剖学が活かされるのでしょうか???
ヨガのポーズを身体活動としてのみ考えてみましょう。

先ず、動作分析です。
例として「トリコーナアーサナ」(三角のポーズ)をあげてみます。
右に身体を倒す側を説明します。

下半身から・・・
右股関節・・・外旋・外転
右膝関節・・・伸展(動かず)
右足関節・・・底屈
左股関節・・・内旋(ほとんど無い場合もあり)・内転(外転もありえます)
左膝関節・・・伸展(動かず)
左足関節・・・内がえし(足首は複雑なのでざっくり書きました)
体幹部
腰椎・胸椎・・・右側屈・左回旋(下肢の柔軟性によってはほとんど起こりません)
頸椎・・・左回旋
上肢
肩関節・・・外転(肩甲骨は省きます)
※膝は動きが無いので書く必要のない所ですが、「曲げない」という意味合いも込めて書きました。
※上肢の運びはコツとしての動きはありますが、目的と違うので省きます。

すごく大雑把ですが・・・
動作分析はこんなもん。

そこに、筋肉の働きを入れます。
これが、厄介なんです。

ヨガポーズと言うのは、目的を達成する動作ではなくて、姿勢のホールド自体が目的になります。
ですので、その人の特性によって中身は全然変わってくるのです。
(目的を達成する動作と言うのは、「走るための脚の動き」とか、「バッティングの為の動作」など・・・)

確実に伸びそうな所としては?
右脚の内転筋群とハムストリング(大腿屈筋群)でしょうか?
つまり、右の腿内側と裏側です。
しかし、これも怪しいものです。
左股関節の外転・外旋筋群(お尻の横)が極度に硬いとほとんど骨盤が傾かず、あまり伸びない可能性があるのです。(結構多いです。)

では、左の腰方形筋や腹斜筋群はどうでしょう?
つまり、左体側です。
これも、股関節の柔軟性があると、体幹はほとんど真っ直ぐのままだったりします。
(意識的に動かすのは別です。)

身体が硬い人は倒していっても、筋肉や関節の硬さで勝手に止まります。
が、柔らかい人は下に添えた手で支えるか、体幹の力で姿勢を支える必要が出てきます。

こんなに、基本的なポーズでも、
「このポーズは解剖学的にこんな機能を使います。」
とは一概に説明できません。
個人的に見て言う事は可能ですが・・・

ここで、トレーナー目線として説明を続けます。
もし、ある写真の例(見本)があり、それと同じ形にする事をベストとするとします。
(かなりヨガとしては逸脱していると解っていながら進めます。)

クライアントを先ず観察します。

その人の何処がどの様に動かないから、見本と同じにならないのかを分析します。
そして、その原因を導き出したら、個別に強化するエクササイズを考案します。
もし、ヒップ外が硬いならそれを柔らかくするストレッチを・・・

さらに、その人の特性を考慮します。
場合によっては代替案を提示します
例えば、手が短いから地面に手が着かないなら足首を持つなど。
(ルールが許す限りの方法でいろいろ・・・)

もし、目的が「見本の様に美しく見える」ならばその人の特性上一番美しく見える方法を、
目的が「見本の様に楽にホールドする」ならその人の特性を考慮し楽に保てる方法を見つけ出し提案し、一緒に取り組みます。
トレーナーはあらゆる手段で可能性を追及しますが、非常に合理的でもあります。
もし、目的に到達することがクライアントに向いていないならば、別の方法を提案する可能性すら視野に入れます。
(例えば、サッカーは向いてないから野球の選手になったら???みたいな提案)

でも、これは「見本に近づくこと」を目的とした場合です。
これは、ヨガではないですよね???
ポーズ見本に近づく事をヨガだとするなら、UZ的には、世の中ヨガに向いてない人だらけです。。。(^^;

ポーズを解剖学的に説明する事は非常に個人的な事だということを知ってほしいのです。
「このポーズはここに効く」
「このポーズはここを伸ばす」
と書いてはあっても個人差があることを忘れないでください。
どんなに説明書に書いてあっても、自分は伸びなければ伸びてないのです。
説明する側も押し付けにならない様に注意して下さい。

解剖学をするより先ず、大切な事は、
「感じる力をつけること」
「正確に動けるようになること」
「見る目を養うこと」
です。
この3つをしっかりとトレーニングする事で、やっと解剖学が活きてきます。
先に知識や固定観念を植え付けると、上記の能力を養う害にさえなるのです。


ヨガでは「個人」を尊重します。
周りと比べません。
一つのポーズは自分と向き合うためのテーマだと思うのです。
もし解剖学を勉強するなら、
「人は同じように見えてそれぞれ違うんだ!?」
って事を知ってほしいのです。

そのうえで、先ほど書いたような動作分析が出来るようになってください。
関節の動き、筋肉の起始・停止などが解れば、解決策は自ずと解るようになります。
決して、「このポーズはここを伸ばします。」「このポーズはここを鍛えます。」
を鵜呑みにしないでください。
あえて言うなら、
「このポーズを”この様に”取り組むならば、ここを伸ばす効果を高められます。」
と、”この様に”の所に「解剖学」などの知識を入れてほしいのです。

「ヨガ解剖学」
とても難しい分野です。
ストレッチや機能改善に重きを置くなら、ヨガポーズから離れて違うポーズにした方がいいものが沢山あります。
実際、欧米ではその様に取り組んでいるところが沢山あります。
アイアンガーヨガもその一つと言えます。
それを、ストレッチやリハビリと言わずにヨガと言うのは、その取り組み方の背景にヨガ哲学があるからです。
つまり、ここでも哲学なんです。
「ヨガ解剖学」は、
ヨガのポーズを解説したり、効率よく出来るようになるための解剖学(それは普通の解剖学です)ではなく、ヨガを学び実践した人がヨガ的視点に立って提案する解剖学だと思います。

是非目的を見失わない様にして下さいね。

今日は非常に専門的で申し訳ありませんでした。

では、明日。。。


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by uz-ni-chan | 2013-11-06 18:27 | 一ヶ月更新2013