そんな人に、私はなりたい・・・

こんにちは。
お元気ですか???
最近はDG アーサナ紹介ばかりの更新だったので、たまには思う事をつらつらと・・・
少し長いですが、暇つぶしにどうぞ。



ヨガでは、出来る出来ない、良い悪い、正しい誤り、好き嫌いといった考え方はありません。

強いて判断基準を言うなら、快か不快か?つまり快いかどうかです。
しかし、出来て嬉しい出来ないと悲しいを快・不快と見誤ると意味がありません。

嬉しいかどうかはあなたの心の好みでしかありません。
心というフィルターがかかっていると、なかなか命の声は聞こえてきません。

このフィルターに気付き取り払うと世の中は恐ろしいくらい自由です。

しかし、心というフィルターは、”知らないうちに”汚れたメガネの様に、”知らないうちに”あなたの感覚を曇らせているのです。

教育、経験、思い込みなどから作られる固定観念というフィルターをクリアにするには、先ず完全な「自己否定」が必要になります。

自己の過大評価・過小評価も大きな障害です。

感覚を研ぎ澄ませ、そのままを感じるのです。

すると、世の中の殆んどが馬鹿らしくなります。
馬鹿らしいくらいどうでも良い事柄に雁字搦めに縛られている事に気付くのです。

少し解った様に、偉そうにしている人は殆んどこの域で、普通にも沢山いますし、居心地が良いのでここに留まります。

馬鹿らしい事に右往左往する人々を小馬鹿にして、笑っている人。

そんなんではダメだ!と、声高に主張し自分は解ってる人間だとアピールに余念がない人。

何しても仕方ないと冷める人。

如何ともしがたい現状に悲観的になる人。

自己否定が足りないと、上記の人達の様になり、結局自由でも幸せでもありません。

ならば、今までどおり心の快楽だけを求めた方がいいんじゃない???
と、現代病に一直線という俗世に逆戻りする人も、中途半端な自己否定派か、初めからその気が無い人達です。

そんな人達は、良い人が多いです。
本音を押し殺して、嫌われないように必死です。
相手を思いやり、良さそうな事と思い込んだ毒を大切な人に勧め、噂話や悪口で罪の無い人を貶めて喜ぶ良い人達。
この様な俗世界は、善悪・好き嫌い・出来不出来…などの二元性による差別・偏見を蔓延させ、力のバランスをとっています。

死ぬまでにしておきたい幾つかの事…
結婚する前に…
親なる前に…
子育てNGワード…
人を動かす方法…
成功している人は…

上記の様な内容にやたらと興味が湧く人は多いみたいですが、どっぷりと二元性の罠に囚われているかもしれませんね。

他にも、
「考えない様にしよう!」
とか、
「考えてばかりいないで行動しよう!」
「やってみれば何とかなる!」

なんかも、励ましのように聞こえて、上手くいった奴の自慢でしかない場合が多いものです。
上手く出来ない自分を逆に責めてしまうかも…
気にしない方がいいかもしれませんね。
気にしない様に出来ればの話ですが・・・

ヨガの目指す所は囚われから解放される事…
しかしその考え方に執着すると、「囚われから解放される」という思想に既に囚われているとなってしまい本末転倒です。

悟った人は自由人です。

しかし、あまり自由になると、変な人扱いされたり、俗世のルールでは犯罪者にされたりします。
つまり、今のこの世の中では上手く生きていけないかもしれません。

囚われから解放されつつ、囚われた世界で生き続けるのは案外難しいものかもしれません。
すると、囚われからの解放を目指すヨガの価値は薄くなりますね。

ならば、難しい事は考えず、ヨガを今時風にフィットネスエクササイズやリハビリと考えればいいのかもしれません。
と、またまた俗世に逆戻り…
輪廻の輪にハマった魂の様ですね。


結局何が言いたいかと言えば…

本当に悟れたならば、悟ってない振りして生きている事も可能でしょう。
囚われが無いから囚われている振りも可能です。
振りをする事が出来れば、今まで書いてきたどんな人にもなれます。
だとすると、悟った人は誰にも解らない事になり、悟りは可能なのか?!も証明できません。

この文章はいろんな人達について書いただけで、上記の人達否定でも批判でもありません。

だってヨガには、否定も肯定もありませんから…


囚われてないから、自由。
囚われてないから、幸せ。

「そんな人に、私はなりたい。」
ヨガを実践することで…


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by uz-ni-chan | 2015-03-03 14:06
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