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卑屈さと尊大さ…

皆様、こんにちは。
今日は少し暖かいですね。
しかし、今週は冷え込むようです。
気を付けて下さいね。

さっそく本題です。

レッスンでいつも話す事ですが、

ヨガのアーサナには出来る・出来ないの尺度は有りません。


どんなにベーシックなアーサナにも完成はなく、追求の対象でしかありません。

しかし多くの初心者はレッスンで

「全然ついていけません…」
「私だけ出来ていない…」

と言います。
(謙遜なら別ですが、そうでもなさそうです。)

それは、自分で基準をつくり、その上下で判断しているからです。

そんな物の捉え方を

「相対二元性」

と言い、ヨガではもっとも避けるべき考え方と教えられています。

もちろん、初心者の気持ちは充分理解しています。
少しづつ進めばいいと思っていますし、その様に伝えています。
「メゲずに続けてね!(^_−)−☆」
と…

そもそも、その基準はどんな根拠ですか?
たまたま居合わせた人がベテランや運動能力が高い方ばかりだったかもしれません。



僕の目から見たら・・・
そうですね・・・(^^;

「全員出来てません。」

?!


たいてい、写真などに見られるヨガのアーサナの形を完成形としたなら、世の中の99%以上の人が出来ません。

逆に言うなら

「全員出来ます。」(完了形や過去形でない)
集中して自分を見つめる努力をすれば良いんです。

己をよく知り、やれる事を精一杯できる人がヨガの上級者。

運動能力は関係ないのです。
周りの人を見てる暇など、ヨガには無いですよ。(^_-)-☆

人と比べて落ち込むのは、謙虚ではなく卑屈な人。

卑屈な人は何かの機会に、出来る側に回った時、
とても尊大になる危険を備えた性質です。

何故なら、自分で決めた小さな小さな基準で物事を判断するからです。


わたしなんて…劣っている。

わたしなんて…ダメな人間だ…


は、裏を返せば、

おまえなんか!劣っている!

おまえなんか!ダメな人間だ!


と言っている事と同じなのです。

レッスンでは度々お伝えしています。
しかし、聞こえてないのです。

自分で決めた小さな小さな基準で聞いてるから。
だから、
「聞く練習からしましょうね・・・」
とレッスンで言うのです。

周りについていけず(因みについていく必要はないですが…)落ち込んでレッスンから遠ざかった方々。

直接相談いただければ良いのですが…

声をかけていただけなかったのなら、その方が今後、自尊心を満たすための道に、尊大になる道に突き進まない事を祈ります。

卑屈なのか謙虚なのか?

尊大なのか自信があるのか?

気弱なのか優しいのか?

凶暴なのか強いのか?



相対二元性の思考に陥ると、こんな違いも見抜けなくなります。
いや、自分がどちらなのかも分からなくなります。

世の中で増えている、

「卑屈で尊大、気弱で凶暴」

ではなく、

ヨガで育てるべきは、

「謙虚でいられる自信、優しくいられる強さ」

です。



そのままでいい…

周りと比べない…

評価しない…

自分が幸せである事…


などは二元性の思考のまま理解すると、気休めにはなりますが、前者の様な人を育てます。

これらの言葉はしっかりとヨガを深めた人が、自ら気付いた事なのです。

軽々しく使う事も、軽々しく理解する事も、慎むべきヨガの真髄と言えるでしょう。

レッスン前に必ずヨガの話しをします。
始まる前の雑談と思って聞き逃さず、真剣に聞いて下さい。

レッスンに熱心にコツコツと通っていただければ、理解してもらえる様に話していますが、
しっかりと学びたい方は、是非DG会にお越し下さい。
詳しくは「こちら」


気休めの言葉が綺麗事ではなく、実に深く理論的な癒しの思考法だと理解してもらえると思います。


そもそも、人間の能力で出来る事なんて、大宇宙からすれば微々たるもの。

それを認め、自由にさせてくれる大いなる存在に目を向けたなら、自分の小さな尺度で

「出来る!」

とアピールする幼さ、ちっぽけさに気付けるでしょう。



大いなる存在に身を委ね、信頼する事。


それがヨガの癒しなんですよ。(^_−)−☆

DG会で、レッスンで、皆様にお会い出来ること、楽しみにしております。
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by uz-ni-chan | 2016-11-07 13:54
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